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DIARY

パラダイス銀河

#013

221Bという表札。僕はここに住んでいる。

例の名探偵が住んでいた部屋番号と同じなのだ。だからと言って何というわけではないけれど、一回生の時数学基礎で知り合ったイギリス人が部屋へ来た時にひどく喜んでいたので思い出した。ベイカーストリートには今やチェーン店が並んで、霧の都の面影はどこにもないらしい。

 

宇宙のどこにもこんな場所はない。街灯は輝いている。通りの角にはカフェの光が落ちて、陽気な音楽が流れ出している。人々は歌って、踊って、酒を飲む。冷たくて、暴力的で、意味なんて見当たらないこの真っ暗な宇宙の中でも、人の街にだけは光がある。つまりこんな場所は火星や木星にはないということ。受け売りの言葉だけれど。

東京にいた時にも同じことを思った。通りを歩けば、電飾が白い体に映る。100年もすれば笑ったり泣いたりしているこれら全ての、大勢のぶよぶよした塊は消え去って、似た形をした全く新しいものが湧いて出てくる。人間としての時間は、何もないところからポツリと降って来たものではなくて、物事が一時的な集合をして世界を写す装置を作り出しているように感じる。

 

 

死刑台を登るとき何を思うだろうか。一時間後 、世界はもうない。これまで慣れ親しんで来たあらゆる物事が、綺麗さっぱり消え去る。それもわからない。

物理的な作用が、最も現実的なやり方で彼の全宇宙を消しとばすのだ。

例えば縄を首にかけられる時、家族で行ったレストランのたらこスパゲティの味とかを思い出すだろうか。死の瞬間直面する現実も、本質的にはそれらと何も変わらないはずなのに別の世界の出来事のようなのは、死があたかも有から無へ、僕の存在をひっくり返してしまうように思えるからだ。

僕は最も現実的なうちに死ぬ。その現象は、単に物質の変化だともいえるかもしれない。全存在を一枚の絵画に例えた人間がいたけれど、それがディスプレイだとしても、僕が死ぬと言うことは、僕の居場所である一つのドットが、その色をかえると言うことだけなのだ。僕は死んでもどこにもいけない。消えたりはできない。ただ存在を自称できなくなるだけで、それを構成していたあれこれは、無に変わったりはしない。

存在を自称できるのは人間の特権だと思う時がある。思い上がりなのだろうな。

 

 

 僕は時代の上に立っている。空騒ぎに便乗するには、忘れないといけないことが多すぎる。酔っているのは僕なのか景色の方なのか。それは同じこと。遠くの絶望をわざわざ捕まえにいこうとするのは、性癖みたいなものなのだと言われた。生きることに意味がないのが問題なのではなく、生きることの意味に意味などないことが問題なのだ。

 

今まで必死になって意味を消してきたのは、それは何かを諦めたいからなのか、正しいことを知ることがもう叶わないと感じたことの裏返しなのかは、わからない。

それでも価値を置いていたあれこれは全部清々しいほどにフラットになって、生活はどんどん奥へと引っ込んで行った。しかしその作業もほとんど終わったらしい。物事に対して不感症気味になったのはそのせいだろうか。書きたいことが見当たらないのもそのせいだろうか。

何一つとして正しいことは言えない、言い切れない。だから答えを出さない。YESともNOとも言わないことが一番誠実だと僕は思っているけれど、疑っているうちに落としどろこを見失う。居場所はどこにもないのだと。どこにいても落ち着かない、何をしていてもわからなくなってくる。これがこうである理由。僕がここにいること、物事が目の前に広がっていること。

 

かもしれないというあらゆる可能性を均等に扱っているうちに、進むべき方向も失う。

 

 

もっと新しく、ダイナミックに見方を変えらたなら、生活をおおう虚無感は、むしろ世界は満たされていると叫び始めるだろうか。