DIARY

パラダイス銀河

#043

ここではないどこかの風景を思い浮かべる。その場所ではなく、その場所にいる自分に憧れたりする。しかし僕の体が今あるこの場所よりは説得力はない。だからここしかない。なんて言ってみるのは気が狂っているだろうか。この場所こそが最善でここより良いところはないと思うのはここ以外には僕はいないから、という正気とは思えない主張に結構ほんきで乗っかったりしている。

 

この場所に来た理由はなんだったかと考える。どんどん遡って、小学生だった自分が記憶の中でゆっくり歩いてやってくる。中学、高校。表情に乏しい。同じような感情がずっと根底に流れていて、それに忠実な生き方に憧れてこの場所にいるはずなのだ。ちっとも賢くない友人、僕を諭す大人。何もかもを見下し続けている自分が、過去のどの地点にでもいる。ここではないどこかに憧れ続けていたのは今も昔も変わらないのだ。満足を知らないというか、欲が深すぎる。しかし生きることには微塵の意味も感じない。僕たちは何もわからない。何一つとしてわからない。わからないということもわからない。何がわからないかもわからない。これが全て世界なのか、それとも存在なのか、言葉なのか、というのも記述なのか、脳なのか、やっぱり世界なのか。わからない。人生に意味はないと大胆に言ってのけることで悟りきったような陶酔や、否定することによって全てを無理やり理解したような気持ちになることはなかなか格好が悪い。僕がまさにそうなのだけれど「それは違う、とにかく違うということがわかる」という主張は結局一番誠実ではない。命題に対してnoと言ってそいつを取り込んだ気になってもそれは解決ではなく、ただの方向転換と言った方が正しい気がする。

そこに他人など存在しないかもしれない。現代性など幻想かもしれない。確かな生の感触と抱えきれない快楽、陶酔だけを追いかける。とにかくもっと大きく人生を動かして、肝の座ったゲーム運びをしたいとずっと思っていた。地元を出て、東京を出て、日本を出る。目の前にはずっと同じ現実だけがある。話す言語やイデオロギーの摩擦が、僕に疑問を抱かせない。もっとも表面的な出来事に気を取られて、ぼんやりとしたイメージを、追いかけていた行為と景色をほとんど忘れかけている。ここにも同じ現実があった。これは僕の問題なのか。僕の問題なのだろう。脳みそが多分入ってないだろう太った人間は今日も性器を擦り付けることだけに躍起になっている。変わらない表情、空の色、朝昼晩、月火水木金、飯を食う、寝る。くだらない人間たちとその活動、それぐらいしか捉えることのできない自分に辟易する。天気はいい。晴れ渡っている。風が気持ちいい。コーヒーを飲んで煙草を吸う。髪が風のおかげでめちゃくちゃになった。眼鏡のフレームが昨日よりも視界を邪魔している。僕は確かに忠実に生きている。長い間巣食っていたドロドロした感情をいつの日か世界にぶち撒けて何もかもを終わりにすることの途中にいる。しかし時間がかかりすぎている。まだまだ時間がかかる。多分その途中で僕は死ぬけれど、そういうものだと言われればそうなのかもしれない。結局僕は、憎んでいた平凡と胸焼けするような現実から抜け出せず、何も理解しない。理解したと思い込んだ表情だけを焼き付けてこれを終わりにする。

 

最近一日が異常に短い。気味が悪いぐらい短い。