DIARY

パラダイス銀河

#040

JPOPのオルゴールアレンジが永遠と流れている中華料理屋で、読み方もわからないような丼ぶりを指差して頼んだ。テーブルに敷かれた透明のビニールがウィンドブレイカーの袖にひっついたりする。奥の席に座る客の頭上で回る扇風機の風がギリギリ届いてこないのがわかる距離に座っている。JPOP独特のコード進行を外国で耳にするたび、僕の中の文化の琴線に何かが触れていることを感じる。日本の景色が少し恋しくなったりもする。ロストジェネレーションの残り香がかすかに残るカルチエ・ラタンの一角も、今は異邦人で溢れている。

深入りして細部まで見てしまうとそれにがっかりするかもしれないから表面だけと戯れるという生活を続ける。少し掘ってそのままにしておく。僕は全部を知りたくない。次へ行く。時間がもったいない。一つに時間をかけられない。もったいない。雰囲気を求めてやっている。現実に落とし込みたい雰囲気をまとう作品があったとしたら僕はそれに取り憑かれるだろうか。

 

だらしのない現実の鉄の板が地球を覆っていて、その上に景色がある。夕暮れ時やいくつかの夜にはそれら景色が現実から剥がれたりする。

 

50ドルでビデオカメラを買った。

 

 

地球の内部構造が描かれたノートをただじっと見つめている。マントル。

どこかの大学が5人の被験体にDMTを投与した結果、個別に隔離された5人中4人が同じ夢を見たと言い出したらしい。

死んでも何かが始まるのだろうか。始まらない。

 

昔のルームメイトに再会した。ジャンキーなメキシカンを食べながらアパートに向かって、それからワインを飲んだ。とんでもなく安い。

彼がマリファナのカートリッジを持って来る。僕は日本語で話し始めた。英語を話す人間の正体を掴みにくいのは、その言語から説得力やら人間性を汲み取る能力が僕にはないからだ。他言語は話者と繋がってはおらず、ただ文章として耳に届く。しかしふわふわしていると、表情から言語は引き剥がれて言って、ついには生々しくそこに一人の人間が座っているという感覚に落ちて、やはり何かが在るという痛烈な実感だけがのこった。

 一本の木を見ている。その前に止まるシルバーの乗用車が小さく見える。影を落としている。そこにある。とにかく車がそこにある。脳を処理した映像を”みて”いるので僕は景色を見てなどいない。全ては初めから、タチの悪いジョークかもしれない。

 ゆっくり話していた。何やら、地球も小さな生命体であって広大な宇宙の一構成物に過ぎない、みたいなことを言っている。宇宙に散らばる星が閉める宇宙空間の領域がいかに小さいか、ほとんど空っぽだということを熱弁している。それからアメリカの話をしている。

 マントルがあって、構造があった。世界というと地球のことをイメージしてしまう。世界の絵を描いてくださいと言われれば、地球を描こうとする人は多い。

 

部屋を出るとかすかに明るい。タバコを吸ったけどまずい。なんだか今日は色々とまずい。家に帰って横になっても外は明るい。1時間後に感じるはずの憂鬱を今感じている僕は損をしているのかと考えても何もわからない。階段を降りる。一段一段の落差が大きい。