DIARY

パラダイス銀河

渋谷駅

目が覚めて誰もいない。ボサノバアレンジの耳障りなJPOPが部屋に響いている。天井が妙に高い。起きたら誰もいない方がいいなと思いながら夢を見ていた気がする。なりっぱなしのブラウン管。毛布が湿っている。シャワーを浴びようとするけれど、無意味に広い風呂場。一番嫌いな色の光がエレベーターに満ちている。真っ白い電球がこの世から消えれば人間の感情は少しましになる。非常階段で一階まで降りて、備え付けの自販機でビタミンの飲み物を買う。

道玄坂をふらふらとおりる。スクランブル交差点に人影はほとんどない。みんなどこかに帰る。東京の繁華街も結局はこの時間になればガランとする。ビルの根っこにもたれかかる不細工な男と化粧の濃い女。見るに耐えない顔がディスプレイの光に照らされている。多分そのへんのインターネットを生きている。彼らはそのへんのインターネットに住むことができる。よく見る顔。選ばれた大勢の幸運な人たち。正しく絶望したように装って演出された死んだ目。死んだ目をした広告塔。それが実存の不安のせいなどではなく単に過剰なマスターベーションのせいだと呟いた同級生。へんな匂いのする迷路みたいな自意識。

暗い歩道がもっと暗くなる高架下で、チューンの合わないギターがなっている。「I feel best when I'm alone 君の持ってる淡い色のバックは白黒ださない君の生き方と同じ」というフレーズ。歌う男のバッグは汚れた白のレザーだった。電車はまだこない。街でドロドロと朝に溶けていこうとする僕たちは、このまま爽やかに爆発する。バラバラになったその内臓は大量の清潔な泡となって渋谷の街にふり注ぐ。馬鹿馬鹿しいエネルギーを綺麗さっぱり洗い流す。これ以上誰も生まれてこない世界で僕たちは歳をとらない。これでいいと思える生活はない。人生もない。これでいいと思える人も場所も時間もない。生活の充実などという虚像はとうの昔に犬に食わせておくべきだったのに、気付けば僕がすっかり犬になっている。誰かの体液まみれの地面。這いつくばりながら生活を続ける。欠落にこそ落ち着きを見出す。たまに見える太陽の光。高層階。化けの皮が剥がれた人間生活。知恵遅れ用の舞台装置にもう一度綺麗な布を被せてありがたってみる。手を合わせてみる。どこかで目を潰さなければならなかった。楽しい人生。

新宿駅

地下鉄丸ノ内線。空洞が続いている。新宿駅で降りるのはいつも億劫で、満員電車で油の浮いた皮膚のでこぼこを見るのもデタラメな歩幅で溢れかえる駅構内も、どちらも嫌になる。意味もなくぶらぶらして、人混みに紛れて寂しさを紛らわそうとしてもうまくいかない。皆が孤独だと偉い人が言った。多分そんなことはない。利口な人間は孤独だ。孤独な人間は利口だ。僕は孤独だ。僕は利口だ。という風にしたいらしい。自分の孤独だけが正しいと思っていたいつかの僕が見ていた新宿駅は何も変わらないのに、そのころの気持ちはほとんど思い出せない。若い悩みだと言われることに一番腹が立っていたその頃の悩みは皮肉にも、ほんとうに若さとともにいつの間にか消えていき、ついには駅の入れ替わりの激しいテナントと同じように、僕の脳みそからあっさりと身を引いてしまった。少しだけ楽しくない方が、少しだけ生きやすい。世界の空っぽさを嘆いて絶望して、そしてその段階で死ぬことに失敗した人間に残された進化は、ただ自らも抜け殻になることだけらしい。

 知らない誰かの表情が、視線の真横で加速していく。体を無理やり改札出口へと連れていく人の流れを掻き分けながら、逆方向のホームへと向かう。ゴミ箱が見当たらず捨てられないままの空瓶の重さが鬱陶しい。一つだけ巻き戻り、新宿三丁目の駅で降りた。人はまだ多い。濡れた階段が通りへと続いている。雨を御構い無しに階段を登っていく女子高生。僕はビニール傘を解いた。けれどスエード生地のジャケットは水浸しで、肩のあたりはすっかり色が濃くなっている。僕も御構い無しになって、コンビニの傘立てに傘を置いたまま雨の中を歩き始めた。路地裏を、路地の地面だけを見ながら歩く。誰ともぶつかったりはしない。大通りに出てすぐ左に曲がると、よく来る喫茶店が見えて来る。この街では、一日は終わったり始まったりを繰り返さない。

 

 

 

 

 

 

 

#076

”人間理性の無力を口実にして、理性の問題をいわば回避するようなことをしなかった”

広義で表面的なもの。混乱。職業、生活、家の大きさ、土地、歴史、カーペットのブランド、香水の種類、あらゆるテクノロジーのメカニズム。電子レンジ、浮遊するLED、反応の集合、機械にとっての学習。「前進」する活動は創造ではなく組み合わせ。解釈、消費、発見。主体的な種としての行為は能動の見え方をするけれど、対象が対象と向き合う。種類の違う緊張感。そのコレクション。使い方。道具主義。それは言葉であり、ペーパーナイフであり、原子爆弾であり、マグカップにハンドルがついた理由でもある。あのリンゴはこのリンゴではなく、あのリンゴとこのリンゴもリンゴであるからこそ人生から意味はすっかり消えていき、消えたことも消えて、有意味である方が恐ろしくなる。あの意味はこの意味ではなく、この意味もあの意味ではない。しかしあの意味もこの意味も意味であり、意味は意味ではない。

 現代詩のマガジンをめくる。把握できないあれこれを、ゆるいニヒルを投げかけて物事をうやむやにしている。そんなことはない。僕がいやなやつなのだ。抽象的な表現、言葉のポップな使用。あるコミュニティの中での賞賛、それを仰ぐヒエラルキーの下層部。ただの社会でただの人間。詩人は見た目が良くないとたぶんだめだ。160センチの男のニヒリズムはただのひねくれで、形の良くない女の内省は独りよがりな慰めで。音を楽しんだり、コンテクストで大胆に踊ったり、誰かが呟いたなんとなく絶望の匂いがする言葉が、結論を避けることを許す。「どうしようもなさ」は、これまでどうしようもなかったと思われる経験から出た帰納であり、それらを物事が始まる前に設置することで、新しい観察、変化、組み合わせを同じ絶望の色にし、来るかもしれない失望に備える。しかし絶望はもうやってこない。未来はあり得ず、実際的で物理的な虚構。欲の形態。耐えきれなくなった理性はポップになったり、気狂いを起こす。新しい心理的な揺さぶりから逃げる。性欲、山頂、サンセット、コーヒー豆、誰かの日記。なんとなく暗くなるくらいなら気が触れたように笑う。同情が欲しいなら明るく振る舞えばいい。内省を暴露したところで、言葉のポップな使用を始めたところで、何もかもどうしようもないままで、醜い顔は醜いままで、欲しいものは手に入らず、部屋は狭いまま。いつも笑顔でユーモアのある語り口。人を明るくさせて、突然全ての人生から消える。欲深く、沈んでいきそうなほどありまった富。朝昼晩とセックスを繰り返す人。

平凡な自慰行為はテクノロジーによってあの手この手と見せ方を変えるけれども呪いは克服されず、人間は進まず、個人的な豊かさは遠のいて、理想の生活は幻想になって、何も始まらないまま全てが終わって、希望はすでに消費されている。眩しい可能性は景色の奥へと流れていった。住んでいる街、至近距離にいる別の肉体に引っ付いた綺麗な顔。先取りする満足。どこかで始まっている人生、理想の生活、すでに完結している不安。 

 

 

 

#075

大きな交差点。信号待ちをする母親の体から乗り出した赤ん坊と目があった。妙な気分になって僕は目をそらした。タバコ。5を3にした。喫茶店でたまに見る女性。ウェリントンの黒縁メガネ。八重歯。

友達。ジャズボーカルをやっている若い男は今時珍しい。僕は彼しか知らない。マスターはからかって、彼を和製チェットベイカーと呼ぶ。そのチェット君は、タバコと酒のせいで合うたびに声が掠れている。セックスと酒とタバコのためにジャズやっていると言った。死に急いでいるというか、この人は長く生きるつもりなんてないのだろうなと感じる。ギンズバーグはこう書いていた。

僕は見た,狂気によって破壊された僕の世代の最良の精神たちを,飢え,苛ら立ち,裸で夜明けの黒人街を腹立たしい一服の薬を求めて,のろのろと歩いてゆくのを。 

 緩やかな自殺とも思える人生と、ガラス細工を触るように大事に扱われた人生と。一度剥がれた意味は街の景色の中へ戻っていき、それぞれに新しく居場所を見つけたようだった。だらしのない中庸、往生際の悪い忠誠。何もかもが初めから間違っていたとしても、僕はあっさり死ぬことはできない。死にたくない。

#074

夜に閉め忘れたカーテン。窓から差し込む光はぼんやりとしていて、朝はすでに終わっていた。もう少しで届きそうな携帯電話に手を伸ばしたけれど届かなくて、手前に積んである本の一番上をとってパラパラとめくった。馴染みのない固有名詞がそこには並び、とても高い山に登ったことについて書かれた章の終わりの方で、いつか挟んだしおりが顔に落ちてきた。”暑さは慎重に私を殺し、寒さは早足で私を殺そうとした”とある。ぶよぶよした肉の塊が山の斜面の統一を乱す風景。天井の模様に焦点が合う。コンタクトレンズを外し忘れていた。

「どうしたって君は幸せになれない。私が保証しよう」アスレチックに登って遊んでいた、まだ小さな体の僕を見上げて男はそういう。「どうせ死ぬんだ、私が保証しよう。」今度は図書館の窓際の席で、方程式を見つめていた僕に話しかけてきた。交差点、ゲームセンター、陸上競技場のトラック。どうせ終わってしまうのだ、もう終わりにしようと 繰り返した。

 カーソルの点滅は僕の視線に気付いたのかゆっくりとなっていき、リズムは終わりついには点滅をやめて、消えてしまった。せいぜい死ぬまでの時間潰しだと言い聞かせてから腰を上げても、楽しいはずの時間つぶしは人生の代わりになってはくれない。から騒ぎまでの確かな文脈。ただ楽になりたいだけの僕。種類の違う不可能だけが交差している。

#000 岩波文庫

「岩波岩波岩波〜」そう叫びながら本屋で無限の広がりを見せるコミック・雑誌コーナーを走り抜けていった少女の残り香が僕のコートを翻した。軽い足取りが嘘のように、岩波文庫の棚を見上げた少女の顔は固まったように表情を失って、それから一冊を手に取ろうとしてはやめるという一連の動作を永遠に繰り返している。

SMOKINGROOMと書かれた扉を重たそうにあげる彼女の後ろ姿を見ながら、僕は深く椅子に座り直す。画面の上部が割れたスマートフォンからバニラの匂いがする。大きくなった彼女は岩波文庫を握りしめながら岩波文庫でできたテーブルに肘をついて、岩波文庫を断裁して巻いたタバコを吸っている。

「ボリスヴィアンの本が岩波にはないの。私それが許せないけれど。」彼女のタバコの先から僕の毛穴にまで入ってきた言葉の羅列が、そっくりそのまま脳みそまで染み渡って体のどこかに吸い込まれた。体の中の異物感を追いかけて、僕は僕の袋小路にまた捕まった。生まれたところはもう春らしい。両親から届いた手紙は、親しい友人の死を知らせるものだった。僕は彼の名前を聞いてもそれが誰だったか思い出せなかった。

 

#073

下北沢のマクドナルド。仕事でたまに会うバンドマンがテーブル席に一人で座っていた。こんにちはと言うとハッとした表情でこちらを見て笑った。雰囲気でやりたくないのに雰囲気で音楽をやってしまうと言うようなことを1時間ぐらい繰り返し言っていた。言葉におこしたあと、逃した部分全てが本当に言葉にしたかったことなんだと思うと死にそうになると言う。

話を聞いて、フォトグラムの写真を思い出した。印画紙に直接モノを置いて感光させることで、モノのシルエットが完成時に浮かび上がってくる。シルエットは真っ白で、それ以外は真っ黒。以前現像作業中、赤い光で満ちた暗室の中で小さな紙の上に潔く浮かび上がってくる白い形を見て、言葉はこの黒色のようにネガティブを満たして白を浮かび上がらせたりすることはできず黒を構成するその破片だけになるだけで、結局何も証明できないと思ったりした。光は印画紙に置いたモノ以外にしか当たらない。つまり何も置かれていない空間は感光オーバーで真っ黒になる。その黒は結果的にシルエットを生むことになる。

口から出てくるデタラメな台詞は、自分が本当に言いたいことはこれではないということを思い知らせるだけの拷問器具のようで、それが真っ白な心象を描きだすことは永劫なく、ただ不可能という実感だけ空虚な音になって空間をさまっている。僕は誰も知ることができないし、誰も僕を知らないでいる。世界について何も知らないし何も知ることはできない。何も知ることはできないと言い切ることもほんとうはできない。あらゆる肯定は宗教になった。

まずいビッグマックを食べ終える。バンドマンはとっくに帰っていた。