DIARY

パラダイス銀河

#011

毎週土曜の午前中は、街の中心でファーマーズマーケットが開かれる。2週間ほど渋っていた雨雲がようやく動き出した。昼頃にはずいぶんと暖かくなってきたので上着を脱いだ。晴れると生活に色彩が戻るというか、彩度がぐんと高くなる感じがする。トマトが反射してすごく赤い。「すごく赤い」なんてよくわからないけれど。

カラフルな作物。コーヒー豆、はちみつ、大きなイチゴ。それからいびつな形をした陶器なんかもあった。みんな笑っている。大きな荷物を抱えて道を横切る人。ベンチに座って絵の具を売る老人が何やら話している。それを聞いている若い女の人。

通りを歩く。もうこの街に住んで短くはないのに、知らないところがたくさんある。知らない人たち、入ったことのない店、見たことのない風景。賑やかな音楽がどこかのバーから流れてくる。理髪店で髪を切っている人。何を話しているのだろう。

古本屋でヘミングウェイの’移動祝祭日’を買った。4ドル。

 

物語はひとりでに展開していったので、それに歩調をあわせて書いてゆくのに、私は苦労していた。もう一杯ラム酒セント・ジェイムズを注文した。そして私は目を上げるたびに、あるいは鉛筆削りで鉛筆を削るたびに、その女の子を見つめた。鉛筆の削り屑は、くるくる巻いて、私の飲物をのせてある台皿の中に落ちた。

 美しいひとよ、私はあなたに出会った。そして、今、あなたは私のものだ。あなたがだれを待っているにせよ、また、私がもう二度とあなたに会えないにしても、と私は考えた。あなたは私のものだ。全パリも私のものだ。そして、この私はこのノートブックとこの鉛筆のものだ”

 

とても僕一人では抱えきれないような、捉えきれないような生活の輝きが僕の周りにはある。手が届く範囲の、目に見える範囲にでさえ、ほとんど無限とも思えるような幸福への可能性が開かれている。スピーディーに、あるいはゆったりと、それらは生活を横切っている。全てを目で追っているうちに、理解と、把握を夢見ているうちに、僕がかろうじて触れられたのは残像みたいなものだった。捉えようとして、その全てをすくい損なう種類の人間。どうしようもない欲が、通りの隅々まで染み渡っていく。

僕の重さが伝わるところの上には、いつでも僕がいる。消えて粉々になっても、それは変わらない。消滅なんてできないというわけだ。瞼を開くだけで、見えない地平線にまで僕の人生が届く。

 

 

それにしても今日は綺麗な人とよく会う。「新しく鋳造した貨幣みたいに新鮮な顔」とヘミングウェイは形容している。だらだらとしたパラフレーズが、少しの倦怠感を連れて横たわる。