DIARY

パラダイス銀河

#068

ヘッドフォン。音量をあげると、自分の体の音が聞こえなくなる。足が地面につく音、骨が軋む音、服がこすれる音。うるさい音と視点だけ。

 

書くことが本当に出てこない。でも寂しさを紛らわしたい。

夕方。午後4時以降から7時くらいまでの時間は街が一番綺麗な色になるような気がする。彩度が徐々に上がってくるというかなんというか。少しだけのお金と本一冊を持って散歩をする。飽きたら適当なカフェに入る。タバコ。キャメルのターキッシュシルバー。温かい飲み物。黒いジャケット。古いジーンズ。擦り傷だらけの革の靴。黒いメガネ。黒いピアス。黒い髪。音楽。ジャズ。少しだけロックンロール。

鋳造したての硬貨みたいに綺麗な顔をした女の人がこちらを見て話す。表情の変化が気味が悪いくらいなめらかでおかしい。黙って聞いている。ただ聞いている。死ぬまでの時間を気持ちのいいあれこれで埋めているというよりは、それらが僕と僕を含めた生活を連れて終わりの方へと連れていってくれている感じ。いつか終わりが来るならそれが今ではいけない理由がどこにある。僕の死はおそらく僕によって決められる。僕は死ぬことに囚われすぎている。生活の中にストレスやらネガティブな過去があるわけでもない。周りの人間は優しく親切で、街の景色を見るのも好きだ。それでも死。死だけが退屈させない。僕は自殺へと、自分自身をとてもゆっくりの速度で納得させようとしている。納得が満たされる前に死が訪れればそれでいい、僕の方が先なら僕から飛び込んでいくかもしれない。いつか体の中にいた能天気な神様を懐かしく思う。正しさはない。僕は確かに幸せだったかもしれない。

どこかへ行った帰りに遠くに摩天楼が見えて来る。帰ってくる瞬間。広いアパートに好きなものを適当に並べて、街へ出て好きな人たちと楽しい時間を過ごす。そんなことがすごく難しい。何一つ持っていない。

人を見下す自分は好きではない。それは正しくないといつも言い聞かせて僕が間違っているのだと思うようにする。思えればいい。そう思えれば楽だけれどなかなかそうはならない。首根っこ掴んで熱々の鍋の中にその汚ない顔をぶち込んでクソ退屈なことしか出てこない腐った脳みそをグツグツやってやろうかと思うほどどうしようもない人間は恐ろしい数いる。これは間違いだろうか。僕が幼稚で未熟だとして、相手は本当は素晴らしい人間なのだとして、そんなこと僕には関係ないじゃないか。例えば40年も50年も生きてきてそんなふうな話し方で内容で仕草で態度で言葉で動きで表情で服装で、もうどこかへ行ってくれ。死ねないなら見えなくなるまで遠くに行って二度と近付かないでほしいと思う。けれどこれは僕の間違いかもしれない。面白くない人間は大嫌いだし格好悪い人間はもっと嫌いだし頭が悪い人間はもっと嫌い。チーズバーガーにしてアフリカに送りつけてやりたい。なんちゃって。

 

何か嫌なことがあったとかじゃありません。いやほんとに

 

 

#067

喫茶店でクリスマスセールのチラシを広げているおじさんがなんとなく目に入ってチラッと横目で見ると広告の裏側にアサルトライフルらしきものが聖夜に半額で売り出されることが書いてあって思わず吹き出しそうになった。シニカルな組み合わせもここまでくると純度の高いジョークだ。

昼過ぎ。ライターを貸してくれと言われる。マリファナを吸いながら涼しい顔で道を闊歩できるのはここぐらいじゃないか。ジャケットに匂いがついてしまった。夜ご飯を食べにいく予定の知人は嫌な顔をするかもしれない。ヘミングウェイの「移動祝祭日」ももうすぐ読み終わる。少し寂しい。愛嬌のある脚色であふれた老人の回顧録と言った感じだった。しかしそれら生活の結論がショットガンで自らの頭を打ち抜くことだったと考えるとなんともやりきれなくなる。未だ稚拙な文章しか書けない。目的地はさっぱりわからないのに遠回りをしていると感じるのはなぜだろうか。

死を具体的にイメージできないとき自殺をおもうと友人はいう。楽しい死に方について考えている。クリスマスに流れるジャズアレンジの音楽や、夜も眩しい装飾が溢れる街並のように、心が軽くなるような死。真っ白い光の中へ沈んでいくような死。

生まれた場所から最も離れたところで、自分のことを誰も知らない土地で異邦人として長く暮らすのはいい意味で生活感がない。よく知る現実からとにかく離れて、よく知る人親しい人からもずっと離れて離れて、遠い国で暮らす。何も知らない土地を移動し続けることをやめない。そうしているうちにいなくなってしまえればいい。腰を落ち着けて家庭を築いて幸せに暮らすことは寝る前にちょっと考える。そんな風にならないことはこの僕が一番よく知っている。

#066

ハードボイルドと呼ぶには甘すぎる形容詞が並んだ文章を眺めているうちに日が沈み始めた。湿った枯葉の上を歩く老人が履くコンバースが妙に目を引いた。誰もいないカフェには、迷いのない和音から始まったメロディーが流れている。時代も場所もわからないところから来た音楽が僕の個人的な景色に不規則なニュアンスを与えている。若い男女が入って来た。今日は風が強い

街には全てがある。昼間に見えていた半月を思い出して、視野イコール現実という実感を乗り越えて太陽系、銀河系、全宇宙という存在の広がりまで現実の把握が染み渡った時、つまり存在全体を現実と呼ぶとき、世界のわからないところや宇宙の外側はすっきりと抜け落ちていく。そこに不安はない。

雨がリズミカルに打ち付ける窓から通りを歩く人たちを眺めていると、生活に流れる文法の気配を感じたりする。こもった文章。個人的な論理体系に徹しようとする文面から突然堰を切ったようにこぼれだす感情。

#065

壁に並んだ空き瓶を眺めている。確かに僕は今に生きているのにまるで過去を見ているような気持ちでそれらを見ている。まだ過去になっていない現在を、失った優しい生活が目の前にあるかのように見ている。現在の形式が追憶に変わるそのつなぎ目に僕は生きているそんな気がする。過去になるギリギリの瞬間に、手放すのを惜しむように眼前の風景を捉えている。過去はどこにも無い。現在にある過去の痕跡に僕たちはノスタルジアを感じる。

#064

長い時間をかけて穴の形を正確に描き出したからと言って、それは穴を埋めることとはまったく関係がなかったのだ。緻密に解析して小さな凹凸も見逃さずその穴を捉えても、そこに穴があることは変わらず、それを埋められない自分は何も変わっていない。絶望の形をじっくりと具体的にすることは確かにこれまで僕を慰めてはいたけれど、絶望があることに変わりはなく、それを癒す術などないことに変わりはない。僕は同じところを、回数を重ねるごとに自分を傷つけるためのナイフを鋭く研いでいる。次はもっと正確に自分を痛めつけることができる。次はもっとはっきりと穴の大きさを、絶望の形を捉えることができる。しかし物事は何も変わっていないのだ。絶望の形をなぞって正確にとらえようとする過程の中でしか一致感を覚えることはできず、生活の圧を感じることはできず、不安を忘れることはできない。常に苦しんでいないとそれは僕が本当のこととは関わってないような気持ちになって、生きていることの、世界の、目の前に広がるなにものかを捉えられない自分を正確に描写している時だけが、不可能な自分を毎秒自らに思い知らせている時だけ、僕は安心している。

 

人を殴ったり痛めつけたりセックスをしたり耐えられないほどの空腹になったり飯を食ったり銃口を突きつけられたり頬骨をおったり、首に縄をかけられたり、砂漠で跪いたり、くらい街角で背中にナイフが刺さったりしないと、納得はやってこない。一致はこない。 

他人、セックス、ドラッグ、酒、タバコ、仕事、夜、景色、通り過ぎる人、服装、食べ物、飲み物、匂い、暑さ、寒さ、痛み、金、ペン、音。

 

 

#063

眠ってしまうには惜しい夜を過ごしている。特に何かが起こったと言うわけではない。まだ行ったこともない場所会ったこともない人々を愛おしく思ったりする。酔っ払ってはいない。古い本屋によった。ヘミングウェイの「移動祝祭日」を買った。ロストジェネレーションの作家に最近肩入れしているので、パリに行きたくなったりする。僕は都市というか、街に魅了されているので、ニューヨークもパリもロンドンも、東京も香港も大好きだ。大きい街にいないと不安になったりするほど都市に依存している。

恐れている風景がある。変わらない毎日。近くのコンビニの照明。昔の友人の顔と声。よく通った道。

なんとなくいい雰囲気、色、景色。僕が憧れる人生は都市の生活のロマンチックな一瞬の中にある。ヘルマンヘッセの荒野のおおかみで主人公がカフェて一人の若い女性に会うシーンがある。行ったこともない場所の見たこともない時代の風景がすでに失われていることに胸が苦しくなったりする。弦楽器と軽い打楽器。それからすんだ文章。雨の日に傘をささず石畳の橋をわたる。向こう側からやってくる女の人目があう。モナコの小さな酒屋に仕入れに行く途中出会うビーチから上がってきた人たち。地中海の波が光で白くなっているのが遠くに見える。僕たちは同じ時代を生きている。時代ごとに全く違う人間が出来上がる。綺麗さっぱり入れ替わって行く。

ロマンチックでノスタルジックな夜。オレンジ色の街灯の光が道にぼんやり等間隔に落ちている。赤い窓のパブから笑い声と音楽が漏れている。サンフランシスコ。ダウンタウンに降りる途中のジャズバー。足が絡まって躓いたりする。またまた軽快な音楽。

港はもう動き出している。昼になったらロブスターをたらふく食べて赤と白のワインを飲もう。それからドライブをする。夜になったらいつものパブで友人たちとかんかんがくがく。

ブロッサムディアリーの歌声が聞こえてくるマンハッタンの夜。マディソンスクエアから少し北に上がったところにすむ友人のアパートでパーティーがある。もうみんな踊っている。部屋の隅でノートに必死に向かう若い人、ピアノを叩いて笑う、踊っている。靴底の音が天井まで響く。ウイスキーとウォッカの匂い。ろうそくがそこら中にある。訛りの強い英語。恋と言葉。それから音楽。それから街。美しい人生。わからない人生。どんどんわからなく、どんどん気持ちよくなってくる。このまま夜はあけない。

あったこともない人と、見たこともない街の片隅で恋に落ちる。やっぱり音楽が聞こえてくる。服が擦れる。靴が石畳をコツコツ。暖炉の近くのカウチで目を覚ます。まだ外は暗い。自転車を二人乗りでタバコ屋まで駆け出す。僕は旅をしている。僕の居場所はどこにもない。僕を覚えている人は誰もいない。この時代のどこかの場所で僕という人間は生きていた。美しい風景と、数多の人間。いろんな人間のいろんな表情が僕の脳裏をすごいスピードでかけて行く。溺れていきたい瞬間、何もかもが不思議になってくる。それらが全て優しく温かい様相で僕をつつんで、これまでの不安は五線譜に踊るメロディーが解釈を与えてくれる。柔らかい唇。アルコールの匂い。聞こえてくるピアノ。抱きしめる体温。街の明かり。知らない言葉。楽しい人生。愉快な空っぽがどこまでも続く。

 

 

 

#062

マフラーをぐるぐるに巻いた女子高生の影のシルエットがロシアの人形にしか見えなくなってきたところで電車が到着した。黄色い線の内側までおさがりくださいのアナウンスが妙に反響している。都会の駅には飛び込み防止のホームドアが設置されているので黄色い線はなかったりする。あのホームドアの存在が自殺しようとする人間の精神的な弁となって思いとどまらせたりするのだろうか。確かにあれをよじ登ってタイミングよく飛び込むというのは難しい。死に至るまでの過程が多いとそこに余白が生まれたりする。それでも死に向かわせるには気力がいる。僕の知っている僕だけが僕を終わらせることができる。

雨の日の駅のホーム。自販機には「あたたかい」が増えている。過去を更新し続けた結果現在の自分にたどり着いたのではなく、それぞれの風景がほとんど気まぐれで僕を今に連れてきているような気がした。ポケットに突っ込んだヘミングウェイを飛ばし飛ばし読む。筆圧の濃い昔の自分をさらりと無視して進む。同じ文章を読んでも今昔で解釈が変わるというのはどこでも言われている。僕は昔の解釈をとっくに忘れている。

いろんなことがきになる。それが頭のずーっと上の駅の屋根のもっと上のその少し上ぐらいにふわふわ漂っている。目線の先にある現実がもっと現実になって来る。

 

”ノスタルジックという恋人”についてヘミングウェイが話す章に差し掛かって「散らばったあれこれ。一人の人間。」という書き込みを見つけた。そのすぐ下に「午後2時半南千住駅」と知らない電話番号が書いてある。誰かとあう予定だったらしい。これを古本屋で買ったのはいつだったろうか。大事なことはあまり覚えていない。その時使っていたペンとはすぐに思い出せた。雨が強くなる。屋根に打ち付ける8ビートの雨音が、あちこちに散らばるディスプレイに照らされた顔に降り注いでいる。