DIARY

パラダイス銀河

#039

人間の数だけ差異があるし何もかも全くわからないという気持ちで朝を迎えました。いい気分ではない。死ぬまで納得できるはずはないのに、そのふわっとした把握だけを求めて生きている。シーシュポス。山の麓に来るたび、この過程には意味があると信じ込まされる。

 

漠然としたイメージをなんとなく正解にしておいて人生を進めようとしているけどうまくいかない。先端に目を向けたのちに全体を見渡すと、その大きさに途方に暮れてしまう。複雑極まりない末端が無数に見える。可能性を諦め続けなければ何も進まないのだろうけれどなかなか難しい。大きな把握を目指すけれど、それは叶わない。違う人間に会って話すたびに破壊される。新しいパターンを取り込むのだけれど、それらはどの理解にもつながらず、諦めをよこしてはくれない。

 職でも同じで、一つ一つやって見てすべて諦めたいのに、最初の2つ3つでもうダメになってしまう。あらゆるものに奥行きがあって、方向もある。キリがない。何もかもを辞めてしまわないと、これは逃げ切れるゲームではない。知らない無数のパターンが強迫観念となって生活の実感を奪っていく。

 

一番だと思うところに住んで、一番だと思う仕事をして、1番だと思うパートナーを見つけることだよと友人に言われた。大は小を兼ねる的パワープレイで、2位を含むピラミッドの上から下までを強制的に排除というか理解というか、それらは必要ではないし、今のものよりも優れているわけがないという言い聞かせが必要になってくる。

 

あらゆるものを捨てなければならない。あらゆる可能性と選択肢を顧みず全ての選択の誘惑を断ち切ってしまうような会心の一手を、現在に下し続けるかもしくはこれでいいと思える阿呆になるなどしないと僕みたいな人間は一生、ありもしない可能性と、捨ててきた選択と手に入れられたかもしれないあれこれに呪われて死ぬ羽目になる。

 

プラハ。三白眼が印象的な人だった。仕事終わりパブで一緒に潰れるまで飲んでそのまま彼女のアパートに行った。何もない。ベッドと、服。電気ポット。頭の中では何故かビートルズのNorwgian Woodの出だしの歌詞がリピートされていた。黙ったままこちらを見つめるので僕も同じようにした。すると青い目の中に本当に吸い込まれそうになって、こんなに綺麗な形の生き物が存在するのかと不思議な感じになった。僕の人生は具体的なのだけれど、僕の中の何かがそれを抽象しているのでふわふわとしたイメージだけが僕にとって一番リアルになっている。

そのまま陸路でフランスまで移動して、地中海近くのスタジオでの仕事に向かった。カミュの小説とあとがきで誰かが、地中海の美しさと空の青さを目にしながら、彼の体には不条理が貫いていた、みたいなことを言っていたけど、なるほど地中海は確かに綺麗だった。美しく見えるからこそわけがわからなくなる。なぜあるのか、何故生きているのか、何故なにもわからないのか。絶望は景色の隅々まで染み渡る。

 

僕は繰り返しているように毎日を送る。同じことが、全く違う色をしている。目の前の満足や快楽が、これからをどうでもよくしてくれる。朦朧とした時だけ、陶酔の間だけ感じられる本当の理解が翌朝に綺麗さっぱり無くなっていることを知るとき僕は、夢の中で息をしていなかったことに気付く。