DIARY

パラダイス銀河

知人と安いご飯を食べていると、なぜこんなにも退屈なのかという話になった。色々理由は出てきた。死が遠くてとても近いなどと思春期みたいな所に責任転嫁が走り始めた頃合いに「見た目がアレだからじゃない」という話になった。よく考えると地味である。長く黒い髪、黒い服、黒いメガネ、黒いピアス、180cm60kg。あまりにもいさぎよすぎるということで、ここを崩してふわふわとしてみようという今年下半期の目標が唐突に決まった。ということで今週、パーマを当てて、ブリーチを3回ほどしてグレーになった。クリアフレームの眼鏡を買った。次はタトゥーを入れるという話なのでお金を稼がないと。職場はまあどうにかなるだろう。5センチくらいの厚底のブーツをもらった。ピアスも派手なシルバーのやつをつけた。街を歩くと視線が痛い。これは気のせいとかなんとかのレベルではなく、はっきりとジロジロ見られている。確かに少しずつ退屈でなくなってきた。朝になると大きな虫になっているほどの変化はないけれど、関わらなかった種類の人たちに話しかけられたし、少しだけ予想していた職場をクビになるという事態も無事起こり、すっかり無職で清々しい気分だ。不思議。退屈じゃない。山と積んであった本も全て捨てて、トイレに置いてあったパンセだけが手元に残る。都内で見かけたら話しかけください。時間は腐る程あるし、時間が腐るとどんな匂いがするのか気になっています。

夜でも朝でもない時間に名前が付いていない理由を、僕は随分と昔に考えたことがあるような気がする。誰も起きていないからなのでは、とふと思った。すっかり大人になって、夜が生活になり朝は夢の中でぷかぷかと浮かんでいる。夏が始まったと誰かが言っていたので、公園でビールを開けた。ボートを漕ぐカップルと遠くから目があったような気がしたのは、気がしただけだ。平成最後の夏が文字通り最後の夏になり何もかも、本当に何もかもが最後になったとすれば、何もかもを良しとする。

雨音がだんだんと強くなる。遠くにあるiPhoneが点滅している。

映画を一つ見終わった。ベランダに出ると正午は真白く、空はいつも通り青い。柵にもたれると熱くて耐えられなかった。室外機に吸ってタバコを吸った。ただぼんやりと、青い空と、とても暑い空気とに包まれながらタバコを吸ったシーンが、僕のこれまでの人生の中にはいくつもあった。カリフォルニアはもう少しカラッとしている。アパートを出ると、手入れの行き届いていない駐車場で、地べたに座り込んだ。空はずっと高く、そこでも、とても暑い空気が体を覆っていた。コカコーラとかをよく飲んでいた。神戸の夏、坂道を降って汗が気持ち悪くなって喫茶店に逃げ込んだ。薄暗くて涼しくて、ジャズがかかっていた。タバコは吸えない。

部屋に入ると、部屋の角が自分の体の中へと入り込んでいくような感覚が突然やって来た。囚人は柵の中でも有限に自由で、その自由は無限だと考えたり。立方体の部屋が、四肢の末端の器官となって孤独を教えてくれる。青い空と暑い空気を浴びていると、どこか高いところにでも登って街を一望したいと思った。グーグルで「東京 自然」と調べているうちにどうでもよくなってしまった。街の隅でぼんやり空気に触れることを考えたりした。強制的なものは何もない。陽の光ではっきりとした僕の肌は、久しぶりに見たような気がした。体がここにあって、僕がそれを見ていて、ここに僕がいる。

#088

坂道を挟んだ向かい側に大きな煉瓦造りの家がある。夕方になるとピアノの音が聞こえてくる。同じフレーズを繰り返しては、戻ったり、進んだりする音楽に、僕は耳をいつも澄まして聴いている。ソファに寝転んでタバコを吸っていると、音楽が、過ぎ去った風景を連れてきてくれる。煙を追いかけているうちに消えてしまういつかの自分が見てきた情景は、夜が始まる頃にはまた過去になる。愛の夢が、とても美しい旋律で、それは言葉にならないくらい綺麗だった。僕はまだいきている。涙が出てきたがなぜだかわからない。悲しみのイメージの発端は、校庭で見た夕陽でもあり、昨日すれ違った人の笑顔でもあった。

#087

最後の日は雨だろうか、晴れだろうか。曇りかもしれない。朝か、昼か、夜か。一人なのか、誰かがいるのか。ここなのか、あそこなのか。

最後の景色は記憶のどこかに既にある気がしている。覚えているはずのない産婦人科の病室の天井の模様や、母親と、窓から差す光。森山大道は原風景と幻風景という。

現在は物語の一部なのだろうか。これは章をまたぐ余白。あるいは、あとがきまでの余白。

#086

死んだ人間に人は優しい。死は当人以外の全員にとって重要だ。ある人を失った時点でそれが起点になり、まつわる記憶はすべて曖昧な色合いで点滅し始める。

重たいドアを開けた時は確か雨だった。いつの間にか雨は止み、コンビニに傘を忘れたことを忘れた僕は、きっと雨が降ったことも忘れるのだろう。アメリカの映画では黒いショートヘアの人が5ドルのミルクシェイクを飲んでいた。その顔は鋳造したての硬貨みたいに綺麗だった。曖昧なメタファーが生活の主戦力だったことはそれらが消え去ったあと残り香で知る。チグハグな巻きタバコ。終わってトイレを出ると、恋人とカラフルな食事が待っていた。近代美術館に並ぶあれこれを横目に、ポテトサラダの話をした。雨の日にはラーメンがいいらしい。雨の日こそラーメンがいいらしい。芸術作品は、作ろうとしたその描き始めの一点でもう満足して飽きてしまう。僕はもう美術をやめたことを話した。一両目に乗ってきた4人の若者の左耳には、同じ黒いピアスがついている。車椅子に座った女と目があった。よだれを垂らしながら僕の目を見ていた。確かに見ていたと思う。僕は隣で眠る綺麗な形をした、よだれを垂らしていない女を見たけれど、目は閉じられていた。喫茶店で働く数人を眺めることが、社会を考えるキッカケになっている。具体的な機能と知識だけがそこにはあり、清々しい朝の空気のようなものを感じたりする。悲劇のように演じる喜劇。喜劇のように演じられた悲劇。「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなり、心筋梗塞・脳卒中の危険性や肺気腫を悪化させる危険性を高めます」読み上げた。怒ったように見えるその顔、潔くカットされた黒く短い髪は雨に濡れていた。バス停に並ぶ人たちを彼女は見つめていて、煙を吸い込んだ。あらゆる世界のメタファーは、各々の現実に回収されていく。「どこに住んでるんですか。おいくつですか。好きな食べ物とか。」

 

他人の死は新しいメカニズムでした。僕は久しぶりに夢を見た。共有した時間のすべてはその日から、突然美しくなった。毎秒の呼吸に突き刺すように、死んだ人間の吐息が肺深くに入り込む。ずるい僕の脳みそは、あらゆる思い出を喜劇にしてしまう。