DIARY

パラダイス銀河

#065

壁に並んだ空き瓶を眺めている。確かに僕は今に生きているのにまるで過去を見ているような気持ちでそれらを見ている。まだ過去になっていない現在を、失った優しい生活が目の前にあるかのように見ている。現在の形式が追憶に変わるそのつなぎ目に僕は生きているそんな気がする。過去になるギリギリの瞬間に、手放すのを惜しむように眼前の風景を捉えている。過去はどこにも無い。現在にある過去の痕跡に僕たちはノスタルジアを感じる。

#064

長い時間をかけて穴の形を正確に描き出したからと言って、それは穴を埋めることとはまったく関係がなかったのだ。緻密に解析して小さな凹凸も見逃さずその穴を捉えても、そこに穴があることは変わらず、それを埋められない自分は何も変わっていない。絶望の形をじっくりと具体的にすることは確かにこれまで僕を慰めてはいたけれど、絶望があることに変わりはなく、それを癒す術などないことに変わりはない。僕は同じところを、回数を重ねるごとに自分を傷つけるためのナイフを鋭く研いでいる。次はもっと正確に自分を痛めつけることができる。次はもっとはっきりと穴の大きさを、絶望の形を捉えることができる。しかし物事は何も変わっていないのだ。絶望の形をなぞって正確にとらえようとする過程の中でしか一致感を覚えることはできず、生活の圧を感じることはできず、不安を忘れることはできない。常に苦しんでいないとそれは僕が本当のこととは関わってないような気持ちになって、生きていることの、世界の、目の前に広がるなにものかを捉えられない自分を正確に描写している時だけが、不可能な自分を毎秒自らに思い知らせている時だけ、僕は安心している。

 

人を殴ったり痛めつけたりセックスをしたり耐えられないほどの空腹になったり飯を食ったり銃口を突きつけられたり頬骨をおったり、首に縄をかけられたり、砂漠で跪いたり、くらい街角で背中にナイフが刺さったりしないと、納得はやってこない。一致はこない。 

他人、セックス、ドラッグ、酒、タバコ、仕事、夜、景色、通り過ぎる人、服装、食べ物、飲み物、匂い、暑さ、寒さ、痛み、金、ペン、音。

 

 

#063

眠ってしまうには惜しい夜を過ごしている。特に何かが起こったと言うわけではない。まだ行ったこともない場所会ったこともない人々を愛おしく思ったりする。酔っ払ってはいない。古い本屋によった。ヘミングウェイの「移動祝祭日」を買った。ロストジェネレーションの作家に最近肩入れしているので、パリに行きたくなったりする。僕は都市というか、街に魅了されているので、ニューヨークもパリもロンドンも、東京も香港も大好きだ。大きい街にいないと不安になったりするほど都市に依存している。

恐れている風景がある。変わらない毎日。近くのコンビニの照明。昔の友人の顔と声。よく通った道。

なんとなくいい雰囲気、色、景色。僕が憧れる人生は都市の生活のロマンチックな一瞬の中にある。ヘルマンヘッセの荒野のおおかみで主人公がカフェて一人の若い女性に会うシーンがある。行ったこともない場所の見たこともない時代の風景がすでに失われていることに胸が苦しくなったりする。弦楽器と軽い打楽器。それからすんだ文章。雨の日に傘をささず石畳の橋をわたる。向こう側からやってくる女の人目があう。モナコの小さな酒屋に仕入れに行く途中出会うビーチから上がってきた人たち。地中海の波が光で白くなっているのが遠くに見える。僕たちは同じ時代を生きている。時代ごとに全く違う人間が出来上がる。綺麗さっぱり入れ替わって行く。

ロマンチックでノスタルジックな夜。オレンジ色の街灯の光が道にぼんやり等間隔に落ちている。赤い窓のパブから笑い声と音楽が漏れている。サンフランシスコ。ダウンタウンに降りる途中のジャズバー。足が絡まって躓いたりする。またまた軽快な音楽。

港はもう動き出している。昼になったらロブスターをたらふく食べて赤と白のワインを飲もう。それからドライブをする。夜になったらいつものパブで友人たちとかんかんがくがく。

ブロッサムディアリーの歌声が聞こえてくるマンハッタンの夜。マディソンスクエアから少し北に上がったところにすむ友人のアパートでパーティーがある。もうみんな踊っている。部屋の隅でノートに必死に向かう若い人、ピアノを叩いて笑う、踊っている。靴底の音が天井まで響く。ウイスキーとウォッカの匂い。ろうそくがそこら中にある。訛りの強い英語。恋と言葉。それから音楽。それから街。美しい人生。わからない人生。どんどんわからなく、どんどん気持ちよくなってくる。このまま夜はあけない。

あったこともない人と、見たこともない街の片隅で恋に落ちる。やっぱり音楽が聞こえてくる。服が擦れる。靴が石畳をコツコツ。暖炉の近くのカウチで目を覚ます。まだ外は暗い。自転車を二人乗りでタバコ屋まで駆け出す。僕は旅をしている。僕の居場所はどこにもない。僕を覚えている人は誰もいない。この時代のどこかの場所で僕という人間は生きていた。美しい風景と、数多の人間。いろんな人間のいろんな表情が僕の脳裏をすごいスピードでかけて行く。溺れていきたい瞬間、何もかもが不思議になってくる。それらが全て優しく温かい様相で僕をつつんで、これまでの不安は五線譜に踊るメロディーが解釈を与えてくれる。柔らかい唇。アルコールの匂い。聞こえてくるピアノ。抱きしめる体温。街の明かり。知らない言葉。楽しい人生。愉快な空っぽがどこまでも続く。

 

 

 

#062

マフラーをぐるぐるに巻いた女子高生の影のシルエットがロシアの人形にしか見えなくなってきたところで電車が到着した。黄色い線の内側までおさがりくださいのアナウンスが妙に反響している。都会の駅には飛び込み防止のホームドアが設置されているので黄色い線はなかったりする。あのホームドアの存在が自殺しようとする人間の精神的な弁となって思いとどまらせたりするのだろうか。確かにあれをよじ登ってタイミングよく飛び込むというのは難しい。死に至るまでの過程が多いとそこに余白が生まれたりする。それでも死に向かわせるには気力がいる。僕の知っている僕だけが僕を終わらせることができる。

雨の日の駅のホーム。自販機には「あたたかい」が増えている。過去を更新し続けた結果現在の自分にたどり着いたのではなく、それぞれの風景がほとんど気まぐれで僕を今に連れてきているような気がした。ポケットに突っ込んだヘミングウェイを飛ばし飛ばし読む。筆圧の濃い昔の自分をさらりと無視して進む。同じ文章を読んでも今昔で解釈が変わるというのはどこでも言われている。僕は昔の解釈をとっくに忘れている。

いろんなことがきになる。それが頭のずーっと上の駅の屋根のもっと上のその少し上ぐらいにふわふわ漂っている。目線の先にある現実がもっと現実になって来る。

 

”ノスタルジックという恋人”についてヘミングウェイが話す章に差し掛かって「散らばったあれこれ。一人の人間。」という書き込みを見つけた。そのすぐ下に「午後2時半南千住駅」と知らない電話番号が書いてある。誰かとあう予定だったらしい。これを古本屋で買ったのはいつだったろうか。大事なことはあまり覚えていない。その時使っていたペンとはすぐに思い出せた。雨が強くなる。屋根に打ち付ける8ビートの雨音が、あちこちに散らばるディスプレイに照らされた顔に降り注いでいる。

 

 

#061

欲を満たすことが人生の代替物となって憂鬱から僕を遠ざけてくれることを期待してもそれはおとぎ話よりも地に足が付いていないたわごとなのだ。なんとなくぐったりしている精神に具体的な処方箋が効いた試しがない。あらゆる行為は途中で目的を失って、僕はなんとなく空間に漂っているだけになる。時間はいたずらに過ぎていったりはしない。この体の重さだけ説得力がある。

雨が降って、紅葉が地面に落ちてしまった。日差しを浴びて鮮やかだった昨日までの街路樹をもう見ることはない。次の冬は東京にいる。あったこともない人が夢に出てきて、その人が僕に渡した茶色の紙に書かれた言葉を見て嗚咽を漏らしたところで目が覚めた。涙は出ていなかった。

天井の小さなでこぼこが時折模様に見えたり見えなかったりしている。僕に見えるようにしか世界はそこにはなくて、僕が思うようにしか生活はそこにはない。

 

 

 

 

#060

裏通りに散らばった水たまりが景色の所々を切り取っている。自動販売機まで傘をささずに歩いたら思いの外濡れてしまった。ダイエットコーラを2本買う。パッケージのデザインがオリジナルよりちょっとだけかっこいい。コーラを死ぬほど飲んでも死なない。コーラを死ぬほど飲まなくても死ぬ。死んだらコーラが飲めない。

僕はまたわからない。もうすぐでこの街を出ることになった。何事にも終わりは来る。まだこの場所にいるのに過去の記憶が今の生活を追い越そうとして、街の景色が優しくなっていく。人と話していてがっかりするのは失礼なことなのだとは十分承知しているのだけれど、またがっかりしてしまった。早合点するのはよくないけれどこればかりは皮膚感覚なのでどうしようもない。他人を諦めた時点というのは誰にでもあるものなのだろうか。

読んだ本も読んでない本も全部処分した。文字どおり部屋が空っぽになった。僕も一緒に空っぽになれればどれだけいいか。昔みたいに辛くもなければ悲しくもないけれど、なんとなくみぞおちあたりから胸が圧迫されているような感じがする。息を深く吸いきれない。不安だろうか。僕の居場所はどこにもない。僕はもう異邦人でもない。音も痛みもなく一瞬で消え去れないのならばせめて快楽にまみれた人生を用意しておいてほしい。わがままなんかじゃない。