DIARY

パラダイス銀河

#000 お家につくまでが、

久しぶりに遠出をした。

無数のジャンクションをくぐり抜け海まで。2005年あたりに流行った曲が車内で永遠とループしている。どうでもいい話などないし、大事な話もこの世にはないと思うのだけれど、それでもやっぱりどうでもいい話をした。チーズバーガーにピクルスを3枚以上入れるのは外道だとか、一軒家よりマンションだとか、どの銘柄のタバコのパッケージが一番かっこいいだとか。

 

ロスの空はいつも低く見える。自分が少し大きくなったような気分。すれ違う人はみんな笑っている。大きく笑っているか、小さく笑っているか、微笑んでいる。プラダのコートを着てプラダの靴を履いて、多分プラダの香水をつけているおばさんが僕にウインクをした。海岸沿いにある友人の家に泊まる。サンタモニカはすごく綺麗だ。初めてみたサンセットは赤くて赤くて、それはもう赤くて、涙が出そうになったことを覚えている。トムヤムクンを食べた。

 

遠くに遊園地が見える。観覧車を乗せた桟橋が海まで伸びている。真っ赤な夕日でシルエットだけが僕たちに届いている。哲学で博士号まで取るなんて君は救いようのない奴だなと僕は言った。どこかでやめてしまった僕は本当は少しうらやましい。もうほとんど何も考えられない。10年もかけて全てを修了した友人は笑いながらその通りだよと言う。空っぽのビール瓶で砂をすくいながら地面を見つめている。結局僕たちはなんでこんなことをしてるのだろうかと聞いたけれど、わからないと言う。わからないねと言った。全てがただ元通りになっただけだったよと彼は言う。10年間同じところをぐるぐる回って、しかし周回を重ねるごとに見えるものは違う。僕はそれに取り憑かれていたとボソッとこぼした。何も変わらない。しかし僕たちは何にでもなれると言う。全てを手にれる日を夢見ている。網膜に突き刺さるような真っ赤な空は酔いを冷ましたりはしない。四方八方に広がる景色はどこからきているのだろう。何もわからないのでわからないままそれに波乗りをする術を身に付けようとした。しかし僕は波の上になどいないと気付いたのはほんの最近のことで、生きているのに、僕はただ見ているだけなのだ。何もかも忘れて、納得や解釈を諦めることはやっぱりできなかった。

理想の生活がふわふわと目の前を漂っている。僕たちはなんとなく笑っている。タコスを売るトレーラーの明かりが消えた。街は暗くなっていく。

 

 

 

 

 

 

 

#046

悪そのものなどというのは字面だけの話かもしれない。僕は生きている意味や物事や論説の整合性に全身全霊でシリアスになれるほど誠実ではないらしい。汚いものはできるだけ見たくない、弱い人間からは目を背けたい。矛盾しているようなものごとに関してはさっさと忘れたい。生きる意味が見つからない的な悩みも実際には、本当のところ深刻になってなどいない。10年前も今も変わらない不一致は現実にずっと流れてはいるけれどふつふつと湧いてきた虚無感や景色が平らになっていくような、ここに存在している理由が見つからない感じは言葉への不信感、感情、欲、育ってきた環境、時代性、家族体系、収入、教育、場所、あらゆる要素から独立しているようなものではない。それはもっと現実にへばりついているような問題で、抽象的、ましてや哲学的な問題などではない。うやむやにしてニュアンスでごまかして芸術と称して発散したところで解決の糸口が見えてくるようなものでもない。ただ幸せになることだけが必要で、清潔な欲を満たし続けることが必要なのだと思ったり。

無数のレンズを通して、大小あらゆる社会を毛色の違う方法でカースト化して把握したとする。ピラミッドの上にいる人間、最下層にいる人間。下の人間は欲の輪郭が露骨に見えるなどという人間にあったけれど、どこも変わらない。一番初めから考えるべき。ぼろいアパートで日雇い労働でその日暮らしみたいな生活に憧れる時もありますといえば殴られそうになったことがある。クオリティを落として落としても、それに食いつく人間がいる。そこには需要がある。妥協に妥協されたギリギリの生活に取ってのライフラインとなるようなグレーなコミュニティや概念を一括りにして社会悪のレッテルを張るのはお門違いかもしれない。呼び名が違うだけでやっていることは同じだということがごまんとある。戦争を一方通行的に解釈するのと同じくらい危険な感じがする。危険ってなんだ、危険もくそもない。どうでもいい。

本当はこんなことはどうでもいい。知らない誰がどうなろうとどうでもいい。しかし偶然そういう自分とは関係のない影の部分を見たりすると気分が悪くなる。それは社会の理不尽さに対する怒りや当人達への同情などではなく、汚れたところを見てしまったという不快感。僕は綺麗なところだけを見て、一番大きな都市の一番明るいところでふわふわっと世界に絶望したりして、綺麗なマンションで素敵な女の人と美味しいご飯を食べたりするだけでいいと思う。汚れたところは文面やらテレビのドキュメンタリーぐらいの距離感でたまに見てちょっと触発されてこんな風に適当に書いて次の朝にはけろっと忘れていたい。

偶像を剥がせば生身の人間がいる。そこには何かいつもと同じものが流れている。同じものに満足して、同じように考える何かがある。猟奇殺人鬼もF1レーサーも舞台女優も、みんな同じページにいる。

人間という生き物がいて、言葉を使う。時間と呼ばれるものがあって、歴史がある。それぞれの関係があって、解釈がある。人間という動物。僕たちがもし1000年前と同じことをしていても多分それには気付かない。現代性というものがある。僕にとっては僕の狭い世界とコミュニティが全てで、そのほかで何が起こっていようと関係ないというのが本当のところです。僕が見て解釈するあらゆるものに正しさも普遍性もないので閉じ込められているといえばそうかもしれないけれど、外側など知る由も無い状態では何も知らないことに不安になったりしない。僕は何を知らないかも知らない。

宗教家が信者に人体実験の洗脳をしたり、地下アイドルに熱狂する派遣労働者だったり。ミルグラムの人体実験、太平洋戦争、コミュニケーション、教育、宗教などの話をした。明日には忘れている。メモを取っても忘れている。僕の生活には関係ない。晴れ渡る空と涼しい風を受け取れる気持ちの余裕と、可もなく不可もない3度の食事、ちょっとだけ裕福な実家、可愛い彼女。僕の中の基底を覆しかけたあれこれも次の朝には退屈な文章や鬱陶しい映像としか感じなくなる。僕は人間で、ただの動物だといわれてもそれは実際には何も関係ない。僕には僕がいて、僕だけの世界があって、そこで生活が広がっている。その視野が捉える範囲が穏やかで快適ならば他はなんでもいい。眠い。新しいブランケットを出して寝る。お腹が減っている。夜中に牛丼が食べられる世界にちょっとだけ帰りたい。でもおやすみなさい

 

#045

今日は人生を進めるぞ!と思って掃除をして新しい服を着て外に出て、といい感じだったけど午後は人が来てセックスして終わった。全部どうでもよくなったりしてない。でもまた何にも進まなかった。シーツ変えてシャワー浴びて気がついたらまた日付が変わりかけてる。上がりもしない下がりもしない。飯食わないと死ぬ。

#044

3層の現実を感じる

ある種のフォント、ある種の音楽。は一番表面的

ある種のフォント、ある種の景色は、その次。

長い時間かけて一つに触れていると、一番下にある層の現実が顔を出したりする。

ハイになるのはチーティング。

#043

ここではないどこかの風景を思い浮かべる。その場所ではなく、その場所にいる自分に憧れたりする。しかし僕の体が今あるこの場所よりは説得力はない。だからここしかない。なんて言ってみるのは気が狂っているだろうか。この場所こそが最善でここより良いところはないと思うのはここ以外には僕はいないから、という正気とは思えない主張に結構ほんきで乗っかったりしている。

 

この場所に来た理由はなんだったかと考える。どんどん遡って、小学生だった自分が記憶の中でゆっくり歩いてやってくる。中学、高校。表情に乏しい。同じような感情がずっと根底に流れていて、それに忠実な生き方に憧れてこの場所にいるはずなのだ。ちっとも賢くない友人、僕を諭す大人。何もかもを見下し続けている自分が、過去のどの地点にでもいる。ここではないどこかに憧れ続けていたのは今も昔も変わらないのだ。満足を知らないというか、欲が深すぎる。しかし生きることには微塵の意味も感じない。僕たちは何もわからない。何一つとしてわからない。わからないということもわからない。何がわからないかもわからない。これが全て世界なのか、それとも存在なのか、言葉なのか、というのも記述なのか、脳なのか、やっぱり世界なのか。わからない。人生に意味はないと大胆に言ってのけることで悟りきったような陶酔や、否定することによって全てを無理やり理解したような気持ちになることはなかなか格好が悪い。僕がまさにそうなのだけれど「それは違う、とにかく違うということがわかる」という主張は結局一番誠実ではない。命題に対してnoと言ってそいつを取り込んだ気になってもそれは解決ではなく、ただの方向転換と言った方が正しい気がする。

そこに他人など存在しないかもしれない。現代性など幻想かもしれない。確かな生の感触と抱えきれない快楽、陶酔だけを追いかける。とにかくもっと大きく人生を動かして、肝の座ったゲーム運びをしたいとずっと思っていた。地元を出て、東京を出て、日本を出る。目の前にはずっと同じ現実だけがある。話す言語やイデオロギーの摩擦が、僕に疑問を抱かせない。もっとも表面的な出来事に気を取られて、ぼんやりとしたイメージを、追いかけていた行為と景色をほとんど忘れかけている。ここにも同じ現実があった。これは僕の問題なのか。僕の問題なのだろう。脳みそが多分入ってないだろう太った人間は今日も性器を擦り付けることだけに躍起になっている。変わらない表情、空の色、朝昼晩、月火水木金、飯を食う、寝る。くだらない人間たちとその活動、それぐらいしか捉えることのできない自分に辟易する。天気はいい。晴れ渡っている。風が気持ちいい。コーヒーを飲んで煙草を吸う。髪が風のおかげでめちゃくちゃになった。眼鏡のフレームが昨日よりも視界を邪魔している。僕は確かに忠実に生きている。長い間巣食っていたドロドロした感情をいつの日か世界にぶち撒けて何もかもを終わりにすることの途中にいる。しかし時間がかかりすぎている。まだまだ時間がかかる。多分その途中で僕は死ぬけれど、そういうものだと言われればそうなのかもしれない。結局僕は、憎んでいた平凡と胸焼けするような現実から抜け出せず、何も理解しない。理解したと思い込んだ表情だけを焼き付けてこれを終わりにする。

 

最近一日が異常に短い。気味が悪いぐらい短い。 

#000 Jazz

 

ジャズ。

牛や豚や鳥が焼かれて煮られて揚げられたりしている。通りは米と野菜でごった返している。変わった匂いがする。喉がキュッと締まるような匂いがする。汗をかいた大男が何人も横を通り過ぎていく。暑い。ほとんどが男。視線がものすごい速さで流れては消える。狭い路地にでこぼこと乱立したネオンサインは天まで届く。JR三宮駅を降りる。高架下を西へ。飲食店が密集している。動物の死骸をこねくり回して異臭を放っている通りで、男の汗やらなんやらの匂いで鼻が曲がりそうになるその通りの角から空気を裂くように、トランペットが聞こえてくる。うなるようなソロが通りを駆け抜けている。人間が汗だくになりながら大きく口を開けて、そのびっしり詰まった歯で狂ったように動物の死骸を噛み砕いているその奥から、ジャズが聞こえてくる。汚れたスーツの男が一人で踊っている。みんなが泣いたり叫んだり、壊れるくらい大げさに笑ったりしている。緑のドア。250円。

 

 

 

 

 

#042

ミニチュアダックスに異常に懐かれたり、急に胸毛が生えてきたりした。

起きてすぐ胸元をのぞいて見たらさっぱり生えていなかった。部屋には僕しかいない。妙に片付いている感じ。

「君は目からわらった方がいいね、うん。顔上半分引きつってるんだよ。」お腹が空く。ラーメン屋に行こうと思ったのにカップ麺を開けてしまった。喫茶店に行こうと思ったのにインスタントコーヒーを淹れてしまった。今日が人生の岐路だったかもしれない。外に出ていれば思わぬラッキーが、はたまた交通事故で死んじゃうとか。別のおはなし。

日本にいる叔父からレコードが届く。好みを分かっているというか、僕が叔父に影響されているのだろう。「手紙ありがとう。こちらからは時季ものを送っておきます。体に気をつけてください。」ちょっと高価そうなノートの切れ端に書かれていた。ゆっくり聴いている。曲を聴いているというより、旋律がきっかけとなって僕を記憶の中に沈めて行くという感じがする。キザ過ぎたろうか。キザってもう誰も使いませんか、使いませんね。

短調のナンバーを聞くたび、この人はこの時いい気分だったんだろうなと思って、少し嬉しくなる。

 

ワッフルを作るのが恥ずかしい。食堂でご飯を食べるとき、席から少し離れたところにあるセルフのワッフルメイカーで作っていると、なんか恥ずかしくなった。大の大人が可愛いものを、とかそういうことじゃなく、この人は今明らかにワッフルを欲しているというのが明確すぎること。「ああ自分は欲をさらけ出してしまった、にもかかわらずそれはワッフルを食べたいという並すぎるもしくはそれ以下のスケールだった。」という感じ。

 

食器をゆっくり置くこと、思っているよりずっとゆっくり話すこと。思っているよりずっとゆっくり動くこと。姿勢よく歩いたり、座ったりすること。腰が大事でしょう。目があえば笑うこと。名前で呼ぶこと、話を聞くこと。は今日のメモ。おしまい