DIARY

パラダイス銀河

#030

全てがわからない。あいも変わらず、全てがわからない。わからない。わからなさがそれぞれ異なる色で目の前を行ったり来たりしている。蛍光色のわからなさがデスクトップの縁からやってきて、瞼を閉じても点滅する光はミゾオチまで落ちてきて、僕はまた気分がよくない。

 

午後が始まってすぐ。考え事がどこかへいくかと思ってベランダでビールを開ける。流れてくる音楽を止める。ライターの居場所を忘れる。考えられることなどないということを思い出す。それでも、対処するべきだと思われるあれこれだけは透明なまま積み重なって、目の前の景色は彩度を落としていく。

 

一枚の紙になって、ぺらぺらと生活との平行線を漂っているみたいな気持ち。僕の人生はこのまま始まらず、求めている何かは抽象へと吸い込まれて、無になった、きれいさっぱり ほんとうに 無になったと感じるのに、始まってすぐのかすかな欲が形を変えて僕の後ろから僕の体を通って目の前を溢れさせている。

どこからかカウントが聞こえてきて、後押しをくれるような空。晴れわたっている。いつだって柵を乗り越えて、筋肉の動き一つで全てを終わらせることができる。カウントは聞こえてこない。僕は思い出せないあれこれを、思い出そうとする。思い出すことなどない。物質の凹凸への未練について考えて、僕はもっと生きたいはずだと言い聞かせるけれど 理由はインクの奥へ沈んだまま黙っている。

 

生などない、言葉に囚われることもない、それはそう、これはこう、あれはあれ。言葉は何事も記述せず、それは手段として認識された手段、それは音で染みたインク。気持ちが、僕は気持ちが、どこか遠くへ行かずに、体の真横に広がって、それから収束している。

その一瞬で捉えられるものは一つで、対象は瞬間ごとに一つで、求める全てに溺れて同時になることはできない。どれだけ強く抱いても、皮膚は境界線以上にならずに、内側には入れずに 

 

ランダムでお茶目な采配?

その人がもつ要素を並べてそれに当てはまる他人を探しても、魅了されないのはよく考えれば当然で、その要素に魅力を与えていたのはそのオリジナルただ一つだった。僕はその人を通して要素たちを好みはじめたということを忘れて、それらをもともと好きな自分がいて多く備えている彼女を好きになったのだと 考えるけどなっとくはない。

 

それは抽象的だと誰でも言う。それぞれにとっての。と言う。言葉は全てそうだろうけれど、雑多な心象が少しずつ重なるその共通項に、僕の感じている、気持ちの正体がある。と考えてみる。皮膚を剥がして肉をかき分け骨を抜けて、臓器に触れても、見当たらない。どこにもいない。他人はどこにもいない。肉の塊を好きになって、それは僕の欲を具現化しているようで、それは違うようである。その塊には歴史があって、全く知らない世界を見ていて、僕のことを今見ている。

 

生きることに未練があるからカウントがおりてこない。僕はきょうも柵の上に立ってみて死ぬことを少しだけ感じて、肌に染みつけようとして、生活の色を濃くしようと試みる。死にたくなんてない。

 

 

玄関のチャイムがなる。タバコを決して向かう。薄い黒のTシャツに大きなジーンズ、黒い靴。アサヒビールを開けて一緒に飲んだ。夕刊のクロスワードを解く。答えは「アサガオ」だった。僕は言葉でも抽象でもなくて、この肉の塊の、動きと音が僕に与える何かにたまらなく翻弄されているような気になる。

 

 

生活の無がなくならない。積極的に、全てが無になっている。それを大きくする装置と、欲を満たす対象を具体的に炙り出して、僕はくらいつくす。無があって、無になって、気持ちがあって、欲もある。それからまた、無がある。

 

野菜炒めを食べ終わったらセックス。首筋を伝う汗。目が光っている。髪がほおをくすぐる。小さい体が僕をはうように動いている。息がかかる。無になっている。無がもともとそこにある。この肉の塊もいずれ細切れに分裂して、世界を作る小さな有になって終わる。それでも無がある。細い腕を掴む。

 

水を飲んで、二人でフチに立つ。

 

月が見えている、メガネの度が合ってない。このまま落っこちても、終わりにはならない。有が有になる。そこを無が漂う。お腹が空いたと言う。服を着て街へ出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

#029

力が加わってこないのは、未練がないからだと思っているけど僕は、食事をして喜んだり、クーラーの効いたショッピングモールに入るたび緩んだりしている。黙っている。

 

 

アルコール。たまにいく店に入る。坂口安吾を読んでいる人がいる。キャスターを吸っている。バニラの香り。

 

街へ二人で繰り出す。コンビニでいちごオーレと日本酒を買って、歩きながら飲んだ。

雨で東京は濡れて、僕のシャツも濡れて、紙パックはもっと濡れた。

 

夜が更ける。交差点のオブジェに座って、これ以上僕たちを濡らさない雨の中で二人で話した。手首に傷があった。「これはポップな自傷行為なんだよ」と言う。首にあざがあるのが見えた。ヒュームが好きだと言う話が終わる頃に、スナック菓子を地面に置いたまま、坂の方へと向かった。

 

ウッディアレンの映画は音楽がいいねと言う話をした。パリに行きたいと言って、それから東海岸にも行きたいと言う。

 

うまく歩けなくなって、おんぶすると、重い。痩せて見えるのに重いのは位置が悪いからか、濡れた服のせいかはわからない。ずっと前に閉店した中華料理屋のテラス席で抱きしめられたけど、生きることに波が出たり、厚さを感じたり、奥行きが出たりはしなかった。

2度と見ることはないだろう横顔だけ、僕は思い出している。夜行バスの中で昨日の出来事をゆっくり辿っているうちに、形は、それは最初と最後でその人をくくっているだけなのだとか、考えていた。

 

グッドバイではなくて、僕はずっと繋ぎ止めておきたかったのだと時間が経って気付いても酔いはとっくに冷めて、地面は乾き始めて、匂いも感触も、時間軸からは剥がれていく。

 

一人になって、思い出して同じタバコをかった。バニラの香り。

 

 

 

 

 

 

 

 

#028

目の前のコップが目の前のコップであることにおいて混乱しないことと同じようには、僕の生活が僕の生活であるということで爽やかな一致感はやってこない。言語が正しく物事を記述しうる道具かを言葉によって議論することから一切の納得がやってこないように、抽象的な納得感と大きな気持ち以外が僕を満たすことはない。仮にも、満たすことはない。感情が揺れるたびに、むき出しの生について考える。僕を通さない生活、そんなものはないのに、考える。感情、見え方の向こうに純粋なそれが横たわっているように思うのは僕の妄想で、快楽の可能性がたちまち僕を通り抜けて、幻想は消えていく。

どう見るかどう見えるかだけがそこにはあるのに、それが何であるかを考えようとしている。それが何かを正しく考えるすべを僕は持ってないし、これからも持つことはない。あらゆる解釈と感情が欺瞞というならば、欺瞞を欺瞞たらしめる何物もありえないのではと思うけれど、傾向に落ちていく自分に辟易してすぐにやめる。

 

鍋を食べた。美味しい。これは気持ちがいいということ。それから街で酒を飲んだ。焼酎とか日本酒とかって、美味しく感じるものです?それよりお通しで出てきたコンニャクが美味しかった。なんとなく楽しくなっているうちに、眠っている。焦点があわずにぼやけたままのネオンと、香水の匂い。通りには音楽がこぼれる。

お腹のあたりが暑くて目がさめる。知っている女の人が隣で寝ている。首筋に顔が触れていて、吐息がかかる。僕の体に覆いかぶさる体から熱が伝わってくる。僕は背中に少し汗をかいている。こういう時にいつも考えることは、壁の模様とか、哲学者のみんなは女の人を抱く時とかも感情の構造やら意味やら不可能性やらを考えてるのかななんてことなんだけど、いまは何も考えられない。酩酊の醍醐味を思う。

 

様々な種類の感情が体の中をその都度巡って、街を彩る広告塔さながら、僕の人生をカラフルにしている。日常のあらゆるシーンの中で、生きることそのものの輪郭が浮かび上がってくるように、僕に重さがあることがとてつもなく不思議に思えることがある。何かがあるということがどこまでも不可解なまま、僕は感情に飲み込まれることを受け入れている。

 

メガネが食い込んで痛い。タバコがポケットに入っているけれど取り出せない。境界線がじわじわと薄れていく。細い腕が僕の背中に届いている。髪が顔にかかってくすぐったいし、シャンプーの匂いが甘くて変な感じがする。学者たちの観念的な絶望も不条理の幻想も、ずっと遠い国で始まる紛争くらいどうでもよくなって、一人の体だけが僕の全てを満たしていくようで、死ぬなら今しかないけれど、死なないなら今しかないとも思う。体の左半分から眠りに落ちるように、視界もゆっくりとフェードアウトしていく。

 

 

#027

もう少しで夜が明ける。寒い。

空港の椅子で寝るのはなかなかこたえる。軟体動物さながら体をくねらせて落ち着く場所を探したけれど結局ダメだった。ジーンズを床に引いて、圧縮袋に入った服を枕にして、空港の床で寝る。午前3時。フライトまでまだ5時間ある。清掃員がガチャガチャと何かやっている。掃除機の音がうるさい。

 

空港のトイレで歯を磨く。洗面台の鏡越しに曇った顔が映る。

緑の蛍光灯が目の前で点滅する。首が痛い。歯が痛い。頭が少し痛い。

 

 

#026

アムトラックの列車に揺られながら遅すぎるインターネットの中をフラフラとしている。車窓から見える景色はここ2時間ほどずっと変わらない。時たま馬や牛が放牧されているのを見るくらいで、草木もなく砂漠の入り口にも似た殺伐とした風景がずっと続いている。

 

できるだけ色んな世界を見たいというのは単なる焦燥感からであって、積極的な意味はそこにはない。RPGで全てのワールドを把握しないと気が済まないのと同じで、灰色で表示された場所が地図の中にあるのが気に入らないのだ。足を踏めばそれで終わり。その地を踏んだという事実だけでいい。一度見れば、もうこれでこの場所のことは考えずに済むという安堵感、その土地を自分の人生から排除できる。さながら部屋の大掃除を終えた時のような爽やかな気持ちになる。その場所が気に入ったら、仕事でもなんでも見つけて住んでしまえばいい。骨を埋める場所を探している。

地図に突き刺さるピンの数が増えるたび、僕の人生は消去法的に決定していく。あれでもないこれでもないとしているうちに、死は迎えをよこすのだろう。

 

世界の果てに広がるのは、相も変わらずよく知る現実なのだ。観測可能な宇宙の果てにまでたどり着いたとしても同じだろう。僕がその場所に一度立てばその瞬間から非現実は日常へと変わり始め、僕の視野がそれを覆うにつれて退屈な法則で再び満たされていく。無限の広がりのその先にも、ランデブーが始まる都会の街角でも、そこには主観だけがまばらに落とされていて、それぞれの保有する世界だけがある。

 

不条理は僕固有のもので、それは一切の正しさからかけ離れている。

フィンランドでサウナに入る男が水中で見つけたのは研究室で波長計とにらめっこする若い男。丸の内のオフィスでコードを弾き続ける人。タイムズスクエアでスペアリブを売る男が今日あった背の高い男は、パリで額縁を作る人。ロンドンでモデルの写真を撮る人が今日街でぶつかりそうになったのは、九州で麺を打つ人。モントリオールで石を削る人が落とした地下鉄切符を拾ったのは、アフリカでジープに乗る人。

 

地平線を眺めている。大気圏の外でご飯を食べる人。楽器を演奏する人。

 

#025

嫌な夢を見たということしか覚えていない。嫌な夢を見た。右手が少し痺れている。 

古本屋によってから、街の大きな本屋に行った。パエリアの作り方。スペイン料理の本を買った。大量の本が並んでいる。みんな黙ってはいられないのだ。

 

天気がいい。海が見えるところまで車で行く。一緒に来た友人は隣で梅酒を飲んでる。

「なんで海って海っていうん?」

そういうことを聞いてくる。酔ってない。なんでやろって返す。

 

水の塊が目の前に広がっている。「水の塊が広がる」と言い出すことで目の前の現象は個人的経験則と抽象化の流れに一気に引き込まれ、それ自体オリジナルの解釈はどこかへ消える。海とそれを呼ぶことで僕は把握する。濃度3%の塩が溶け込んだ水、地表の70%をこの景色が覆っていること。

小さい頃なぜ海の水は宇宙にこぼれないのか考えるとき頭に浮かんだ地球、太陽系はまるで不思議で、それは本当に僕が存在している世界と同じ場所だとは思えなかった。それぞれの星がファンタジー世界のエレメントみたいでかっこいいなんて思っていた。真っ暗な宇宙に光る球体が並んでるなんてなかなか粋じゃないですか。

 

誰かがそう呼び始める。

海を構成する「氵」と「毎」。さんずいは流れる川、毎は髪を飾った女。母は象形文字。殷時代の甲骨文字のレパートリーに海は入っていない。殷帝国の支配地は海には面していなかったのだ。周代以降になって「海」は金文に登場する。毎には「黒い髪を結う女性の姿」という説があり、そこから「暗さ」が来ているらしいがピンとこない。流れる水と暗さ、それで海。なぜ「うみ」と発音するのかは、小野妹子にでも聞けばいい。表音文字は潔い。

seaならどうか。"SEA"はゲルマン語系統。

Old English sæ “sheet of water, sea, lake, pool,” from Proto-Germanic *saiwaz (cf. Old Saxon seo, Old Frisian se, Middle Dutch see, Swedish sjö), of unknown origin, outside connections “wholly doubtful” [Buck].  

oceanは、古代ギリシャ語由来みたい。

late 13c., from Old French occean “ocean” (12c., Modern French océan), from Latin oceanus, from Greek okeanos, the great river or sea surrounding the disk of the Earth (as opposed to the Mediterranean), of unknown origin.

英語は表音文字だと教わる。しかし由来を古代エジプトのヒエログリフに源泉を見出そうとする説もある。そもそも文字は副次的なもので、言語発生の時点では音素が先に来ていたと考えるべきで、文字言語がない民族はいても音声言語をもたない民族はいない。アルファベットの構造や歴史、漢字のシステムなどは確かに複雑極まりないけれどそんなものはあんまり気にならない。調べればなんとなく底は見えてくる。とんでもない問題はもっとダジャレ的な考え方から出て来たりする。

りんごをりんごと呼ぶこと、appleと呼ぶことに苦しんだりしない。 

 

 

具象はある程度整理されている。 抽象的概念の学習過程についても色々あるけれど、抽象言語自体に意味はない。それをおおうコンテクスト、状況に意味がある。文脈を学習するにつれて、同じ音の言葉が、全く違う意味を持ったりする。

あらゆる言葉については意外と気にならない。それは手段で、道具なのだ。学術的な手法はその道具の精度をあげるだけで、それは真理云々とは一切関係がない、とういうふうに捉えることが僕にとって一番自然な以上、もうそこで落ち着いている。

意外とどうでもいい。映像からやってくる表象まで降りてこない頭に溜まったイメージを解釈すること、吐き出すことにむしろ時間を使っている。

 

 

夜目が覚めて、天井の模様を見つめる。なんとなく家族が死ぬことを考える。僕は存在の内側にいる、という強い感覚がやってくる。個体同士の繋がり。無数の主観にとっての世界。重なる領域。大きさ。僕はずっと有を保持してこのまま流れていく。火葬炉の中で粉々になった後も、無数の有に散らばって質量を保持したまま僕は存在からは逃れられない。納得はやってこない。

地球の何倍も大きい惑星のことよりも、隣で笑う友人が僕には重要で、いつか必ずくるだろう死の瞬間よりも、パスタソースの蓋が固すぎて開かないことの方が問題で、正しさを保証する大きな正しさのことよりも、なんとなく楽しいことの方が大事になっていく。

 

 

 

#024 Polka Dots and Moonbeams

Suddenly it's crossing in his presence, but it's gone as if naturally provided the fate toward disappearing. She could've understood if it was coming from somewhere she's familier with. Yes. Phenomena's flexibility counts on her interpretation without a doubt.  

 "It's really disappointing, I thought you'd be helping me "

Nobody ever put me on the spot like this before, except for this slanted-eyes lady. But I've had to tell her about it anyway since it may be the truth which mankind ought to know eventually. 

"Yes, you're right. Nothing was obvious at the time probably. Yet now, we're done solving every secrets out there,, just by human's perspective...and guess nothing wrong with being decomposed with an arbitrary aspect"

 She'd been shutting the small lips tightly and puts the 30 bucks on the old wooden table. She looked at my face, "You can't look at me like that." 

After she left, there's nobody in the cafe. All what I could hear was an ennui melody of Wes Montgomary's guitar coming from an old jukebox.