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DIARY

パラダイス銀河

#018

 

一人の人間が死ぬ時、近い人間が死ぬ時、その人の表情やそこを覆う景色を 

例えばその人がこぼした一字一句も全部、忘れないように書き留めたりする。僕はその人の痕跡を残そうとしている。

 

口角がだんだんと下がっていくのを見ている。目尻が細くなって、表情は崩れてくる。悲しみは筋肉へと伝わる。細くなってほとんど動かないその体から、言葉をなんとか絞り出そうとしている。その人の声を僕はなん度も頭の中で繰り返す。忘れないように、そのシーンを擦り込むように。

 

 

こちらを見ているのがわかったけれど、僕は気付かないふりをして本を読む。

本に並んでいる記号の羅列は説得力を失い、それらが諭すこの世界のことはほとんど関係のないことになってしまう。目の前で実現されていく死だけがいま僕を捉えている。何層にも重なって展開する現実も、何気ない生活も、それらは振り返って初めて見える生と死の接合部であって、この人にそれらはもう関係ない。

生々しいほどの現実は、例外なくその体を捕まえようとしている。何故生きているのか、何故在るのかという疑問は、言葉ではなくて視覚的にそこに横たわっているようだったけれど、それは僕にとってそう映っているだけかもしくは、ただ僕はそう見る傾向をもつ主観なのだということ。

 

 

何かがそこにはある。あるということを、確かにそれを感じている。ベッドの上には重さがって、それを所持している何かがある。静かに目をつむるその人は、もっと早く、もっと大きく動いていたりしていた。喉を震わせて声を出し、関節を動かして歩を進め、笑ったり泣いたり、怒ったりしていた。

 

その人の歴史と僕の歴史がかあさなりあっていた時間が、途切れ途切れになって頭をよぎる。記憶は確かに現実で、瞬間が永遠に続くように僕はたわむれていた。

 

 

心電図の波は緩やかになって、しばらくして電子音が静寂を破る。

硬くなって動かない。僕はこれをよく知っている。ながく時間を駆け抜けていた肉体は空っぽになって、その人は不在で、僕はこの形が好きだったわけではないのだということを知る。全てを思い出そうとするけれど、断片的なイメージだけが冷たい手のひらの感触からやってくる。

 

生は一瞬で、死はその一部として、どこかで待っている。あらゆる表現はどんどん遠ざかって、ここに生きているという感触だけが僕を貫いている。どこから来てどこへゆくのか僕たちは知らない。その人の痕跡が消え去ったあと、とりとめもない時間が全く違う在り方で、今は僕だけが立っているこの部屋を飾っている。