DIARY

パラダイス銀河

#010

 

夢を見た。

弟の子供に懐かれる。僕はすごく眠たくて、なんども寝ようとするけどリビングが賑やかで眠れない。母親に「一緒に遊んであげなさいよ」と言われる。小さな子供がテレビにかじりついている。僕は「我が闘争」の下巻を読み聞かせている。ヒトラーのカリスマ性の2パーセントくらいはあのヒゲにあったかもしれないとう話をいつか父親としたことがある。

 

久しぶりに夢を見た気がする。目覚めが悪い。シャワーを浴びる。妙に筋肉がついた。暗い気分から逃げるように無理やり体を動かしていたせいかもしれない。

 

昼。同研究室の人と話をする。引用がやたらに多い。二十歳がひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとはだれにも言わせまい、と言ったのが印象的だった。

 

大学のロビーで以前親しくしていた人と偶然会う。「そっちに座ってもいい」と聞かれた。何も言わず僕がその人の生活から消えようとしたこと、普通にバレていた。あんまり怒っていないみたいだったけれど。今度コーヒーを奢る約束をする。覚えのある匂いがした。

 

ビルの表面からは巨大なディスプレイが湧き出ていて、保険会社の社長の笑顔やいびつな形の自動車のコマーシャルなどがながれている。殆どうつむきながら道路を横切る人たちの顔が、青い光を映して点滅しているみたいだった。

時代の色。火星に住もうとしたり、インターネットが物質になったりする。

 

全て投げ出す。気分はよくなるだろうか。いらないものばかり。捨ててしまう。ガラクタを売って、お酒を買う。セックスをしてタバコを吸って、それからどうでもいい本を読む。ボロボロの、空っぽな家に住む。美味しいものを食べる。まるい形の車を買う。重たいジャケット。

 

カレーライスを食べて水を飲んだ。とても美味しい。

そのものが好き、だなんてことはありえない。水やカレー自体が好きなのではなく、水と僕が好きなのだ。水を飲む僕。ならこの生は?

 

ポップな死。カラフルな自殺。ポップな生は退屈だろうか。それは単色だろうか。みんながパンっと弾け飛ぶ。色とりどりの臓器はカラカラと音を立てて地面に落ちる。

 

ドアに紙がねじ込まれている。”ロストジェネレーションの作家たちについて語り合いましょう”という見出し。サルバドール・ダリの自画像が強引にコピーアンドペーストされている。ヒゲと白目が目立つ。僕はあまりヒゲが生えないタチだ。ところでなぜダリなのだろう。スペイン人だし、彼は失われた世代ではない。

 

芸術家は現代性を取り出してキャンバスに落とそうとしているという話をどこかで聞いたことがある。不思議な感じ。1日中同じ絵を観ている人。

ノートの最後のページの殴り書き。「人間、時代、浮遊感、お祭り、ジャズ、テクノロジー、都市、路地裏、喫茶店、アルコール、友人、美しさ、存在」

 

レコードを買った。ビルエバンス。晩年はほとんど時間をかけた自殺のようだったと伝記に書いてあったことを思い出す。時間をかけた自殺というなら昨日生まれた人間にもそれは始まっているのだろう。「Undercurrent」というアルバム。1962年という表記。アンダーカレント、底流?

一曲目はマイファニーバレンタイン。明るいアレンジだった。

 

 

まだ早いけれど電気を消す。すごく眠い。いいことだと思う。空のペットボトルの底からライトを当てる。壁に模様が浮かぶ。