DIARY

パラダイス銀河

#009

日曜。四月。

 

やるべきことなんてないのに、そのはずなのに生活が僕を急かしている。秒針だとか空腹だとか、一日のシーン。僕は引っ張られたり追いかけたりしている。

しあわせが未来に保存されているわけでもないのに、時々それを削っているような気分になるのはなぜだろう。割れ物のように人生を扱っている。

 

日差しが強い。風がある。歩きやすい靴。表通りに人影はほとんどない。中心街まで歩く。今日は祝日、少し賑やかだった。アール・デコ調の建物、カラフルな人たちが吸い込まれていく。古いアイスクリーム店の前でホームレスのおじさんがギターでガシャガシャやっていた。6弦が切れていた。

 

いつもの喫茶店。コルトレーンのJust Friendsが流れている。3ドルのブランドコーヒーを頼んで席に座る。店の人の左腕にアラビア語のタトゥーが入っていること、今日気がついた。隣の席二人組が黒人の社会学者の話で熱くなっている。訛りが強い。女の人がマッチでタバコに火をつける。ラクダのマークのパッケージ。

本を持ってきたのだ。全然読む気にならない。すぐに眠たくなる。壁の模様をじっとみる。僕は別に何もしなくていいのだ。社会も、生活も。義務はない。目の前には漠然と時間が横たわっている。20数年の間に粘土みたいに捏ねあげられた僕の傾向がそれらをむさぼる。僕は自由を幻視している。このままエレベーターで最上階まで行って飛び降りる選択、隣の人に話しかける選択、大学に寄って退学届を出してどこかへ旅に出るという選択。僕が選んだのはiPhoneで明日の予定を確認してやらなければならないことをリストアップするというものだった。つまらないだろうか。波風を立てないように慎重に駒を進めていくうちに、右にも左にも後ろにも、斜め右前にだって一歩を踏み出せるということを忘れてしまう。ぼくの自由は記号の奥へと消えていき、人生はゆっくりと固定されていく、均一が見えてくる。出所のわからない不安。

 

ある種の感情を生活のあちこちから引っ張り出そうとしている。少し前までは自然と向こうからやってきた感じだった。月並みな言い方をすると、何かが在るということの不可解さ、あるいはヒミツみたいなものなのだけれど。目の前の光景の中に規則性が浮いてくるとき、物質の傾向とかを垣間見たとき、少しだけそわそわする。

借りていた本を返しに友人宅へ。部屋へ案内される。セックスした後の匂い。散らかっている。積み上げられた本。マルクス、レーニン、デュールケーム、フーコー、カミュ、シオラン、それから英訳版のノルウェイの森なんかもあった。スノッブを自称する僕の友人。水タバコの煙で表情がよく見えない、目にしみた。

 

どこに行ったって何をしたって目の前の景色を直視することはできない。わからない不安。選んでこなかった選択肢が胸焼けを起こさせる。みぞおちあたりがすごく重い。もらった瓶ビールを飲んだ。字を目で追いながら他のことを考えている。切れかけている蛍光灯、ホワイトボードに書かれた購入品リスト。行ったこともない街のこと。40年前のパリだとか。

 

どこか別のところからつまみ出されてここにいるのではないかと感じる。人生は一直線に映っているはずなのに、ありもしない幸福の可能性や自由への幻想が僕の頭に安っぽいの羅針盤を作り上げた。空っぽの球体の中心にいるような気分になるのはそのせいだと今は思う。どれだけ考えても、何を感じても、ずっと待ち焦がれている大きな納得感はやってこない、世界は整理されない。透明の秩序が僕を乗せて現実を駆け抜ける。僕は何なのか、どこにいるのか、何をするのか、なんで動くのか、なんでこんなもの食べてるんだ、全然わからない。なんで歩いているんだろう、どこに向かっている。なんでこの人の後ろを歩いているのだろう、なんで。

 

書きたいことはこんなことじゃなかったと思う。道の真ん中をサンダルで歩いたこととか、太陽の光で気分が良くなったこととか、そういうこと。

 

ぞくっとするような世界の秘密は多分もっとも現実的で、退屈なんだろうなって思う。でもそれでいいし、それがいい。ぜんぶが束になって一箇所に集まって、僕はそれを掴んで意気揚々と歩き始める。そういう一日にたどりつくことを妄想したり、しなかったり。