DIARY

パラダイス銀河

#034

本来進めるべき作業から逃げてキーボードをはじいている。そのうちにうまい言い訳が浮かぶのを期待するけれど、何もかもをやめることの正当な理由はいつまでたってもやってこない。

8月31日を過ぎても終わらない宿題を抱えたまま学校へいくことになった。僕はこのまま落ちぶれていけるだろうか。だらしのない生活を潔く受け入れられるだろうか。何も決断せず、欲を抱えたまま可能性の幻想に呑まれて終わるのだろう。

これで生きていくと決めた瞬間に僕はこんなもののために生きているのではないと思い、甘んじて受け入れた瞬間に時間をドブに捨てている気分になって手を止める。ここでもあそこでも、人生は始まらない。

強烈な快楽と高揚感をリズムよく生活に組み込むにはどうすればいいか。セックスとアルコール。それからお金。広い部屋と、好みのもの。車とジャズ。あとうるさくない文学。

 

僕の仕事は色々で、ファッション誌に雇われて人間の写真をとったり、ロゴやシャツ、雑誌のグラフィックデザインなんかもやる。最近は喫茶店のインテリアを考える仕事もあった。短い映像も作る。それはプロモーションビデオだったり、コマーシャルだったりする。あと毎週金曜日と土曜の夜は、坂の途中にある店でジャズを歌う。これはとにかく払いがよくないのだけれど、本当はこれだけで食べて生きたいという気持ちがある。それから舞台演出の手伝い、あと脚本も少し。絵を描いたり、物を壊したり、そのまま置いたり、いわゆるファインアートと呼ばれる分野でやっていくのは難しい。大学時代に書いた絵がいくつか売れたことに気を良くして絵描きで食っていこうとしたら死ぬほど貧乏になった(奇抜な芸術は退屈で、ぞっとするくらいに正直な作品だけが面白いのかもしれない。必要に駆られて作り上げたという雰囲気があるものと、ないもの)わけのわからない類の音楽のコンポーズもやったりする。

北米とヨーロッパに住んで、中南米も、アジアも、アフリカにも行った。しかしどこへ行っても何をしても、18歳まで体に刷り込まれ続けた虚無感が消えることはなかった。生きることに対する手応えのなさは、拍手をもらっても、綺麗な人とセックスをしてもどこかへ行ったりしない。壮大な景色を見ても美味しいものを食べてもお酒に気持ちよくなってもそれらは何も関係しないように思えて、何一つ納得させてはくれない。豊かさは虚しさの処方箋にはならない。

まだ生きているのでこのまま死ぬまでは生き続けるのだけれど、いよいよ何をすればいいのかわからい。食べて寝て、死ぬ。これから色々あるのだろうけれど、とにかく僕は死ぬ。それでもこれから色々とある。わけがわからない。何一つ理解できない。全てがわからない。ただ実際に起きていることを錯覚し続けているような気がして、誤解を続けているような実感だけがあって、苦しい。