DIARY

パラダイス銀河

#008

全部僕の勘違いかもしれない。

現代美術館。広い。静かだった。

芸術、他人の表現。つまらない風景画から存在を切り取れというのか、美しさ?ただ退屈なだけだった。どんな絵を見ても、写真を見ても、映像を見ても、音を聞いても、どれだけ奇抜な凹凸を目にしても、キラキラひかる大きなディスプレイを見せつけられても。それらは全然どうでもいいじゃないか。全然関係のないことじゃないか。核心というものがなんなのか僕は知らない。しかしそれらは全て一番遠いところにあるような気がする。それは保険会社の広告や、スマホケースのデザインくらいどうでもいい、それは、シャープペンシルの細さの種類くらいどうでもいい。

 

芸術活動がスポーツみたいになっていると感じた。

そういえばスポーツ選手なんかはどう考えているんだろうか。生きるということを。僕も競技に携わってきた。確かに学んだことはある。でもそれは大事なことなどではない。そこに価値やら真実はない。結果を争うということになると、そこには過程が生まれてくる。それに一喜一憂をする。その中に重要なものを見出す。それを存在そのものの重要事項と無意識のうちにすげ替えてしまう。しかしどうだ。早く走ったり、遠くにまでボールを飛ばしたり、体をうまく動かしたり。どうでもいいだろう。熱量があまりにも大きいとその行為が、そのプロセスの中で育まれたメンタリティは、奔走を始める。本当はどうでもいいことだろう。一定期間酔いを覚まさずに済む暇つぶしの一種なはずだろう。なぜそこに妙な意味合いがぶら下がってるんだ。涙を流す、体を動かす、目標を達成する。基本的な構造に忠実なだけじゃないか。努力?何かをやっていれば不安にはなりにくいだろう。

成長やら向上やら努力やら目標達成やらを悪くいうつもりはない。ただそれを人生の重要なファクターのように扱う風潮が気に入らない。人生を作ったのは人間。本来そこにあるのは、生々しい現実感。それは文明化された人間で有る限り感じ得ないのだろうか。苦痛、不条理、恐怖。死ぬこと。死ぬまでごまかし続けて生きているのだろうか。それともほとんどの成人が、自らの行為や人生が微塵の意味も持たないこと、くだらない暇つぶしかあるいは社会システムに否応無く形取られたものだということ、理解しているのだろうか。彼らは苦痛の表情を浮かべながらも笑顔を作って、日々を生きているとでもいうのか。それほど人間は利口で強いのか。そうは思えない。みんな全く別の方向をみてそっちでワイワイやっている。血の気が引くような存在の不可解さとあらゆる活動の無価値を感じて青ざめたりはしない。それらを全部抱えて、血反吐を吐きながらも人生をよしとする人間。そういう種類の人間。そんなのはいない。

スポーツ選手がインタビューで涙を流していた。ミュージシャンのライブで観客が涙していた。友人が、芸術家のドキュメンタリー映画を観た後涙していた。違うだろう。どれも感情じゃないか。どういう風に捉えているのか全然理解できない。昔の学者も今の学者も。何かを信じているもしくは確信めいたことをいう時点でその人間は利口とは言えないだろ。アカデミアにいる人間はみんなそうなのか。

やっぱり。生きていくためには、大切にするべき種類の感情、価値と認めなくてはならない物事があるみたいだ。僕はそれらに迎合できないどころか生理的な嫌悪感すら感じる。 ずっと昔からこうだ。ぜんぶ戯れじゃないか。なんで泣いている。なんで怒っている。なんでそこまでのめり込めるんだ。教えてほしい。よく喋るな。どうして、そこまで一喜一憂できる。死ぬまでの時間つぶしだろ。積み重ねてきた感情がそれを否定するのか。

 

この感じ。どうしても理解してもらいたい。無理矢理にでも脳みそにねじ込んでやりたい。僕たちがやっている全てのものは、文字通り全てが、重要なことではないということ。深刻な顔で生活しないでほしい。やってきたことはどうでもいいくだらない暇つぶしだったんだと、なぜ感じないんだ。もしかして感じているのか。だったらなんでそんな風に笑ったり、泣いたりできる。なんでそんな風に話せるんだ。誰も存在の不可解さに混乱したりはしない。そんなのことはバカバカしい。しかし人類がみんなそうなれば社会は止まる。むき出しの人間性だけが、時には暴力と共にやってくる。そういうのがみたい。そういうのしかみたくない。

個展を大げさに開いている芸術家に1年ほど前あったことがある。僕は熱くなってしまった。「お前が作った全てはくだらないガラクタだ。僕は何も感じない」そう言ったら彼は僕の目をずっと見つめていた。「自分が偉大だとでもいうのか、お前の情熱は全く違う方向に向いている。その情熱は恐怖の裏返しだ、不安の裏返しだ。問いを持たず、結論めいたものを早々と作り上げた、お前は、そこで踏ん反り返ってるお前は、何一つ正しくはないし、何一つとして価値あるものなど作っていない。お前がやっていたことはお前の性癖に沿ったマスターベーションの仕方だろう。それがスポーツか、芸術活動か、恋愛なのか、なんでもいい。とにかく、僕らの人生は重要ではないし、価値もない。だから何か大切なことに関わってるみたいなツラで生活するのはやめてくれ。深刻な表情も浮かべないでくれ、真剣なふりをするのもやめてくれ。僕らはただ神妙な面持ちで自慰を繰り返しながら死ぬまでの時間を潰しているだけだぞ。そろそろ考えたらどうだ。」僕は多分恐ろしく幼稚なのだ。そのあと僕は思いっきり殴られた。結構大きいやつだったから痛かった。白人は腕がながい。

 なんで誰も言わない。政治家だって、経営者だって、学者だって、アスリートだってなんでもいい。僕たちのやってることはただのオナニーだって言ってもべつにバチは当たらないだろう。子供の頭に虚無を無理矢理ねじ込むような奴は多分捕まるんだろうな。もう終わりにしていい。生活を逆進させて、無へと向かわせる。両目からは生気が消えていく。活動が静かになっていく。人間はそうやってゆったりとした自殺を種族単位で行う。社会が回らなくなる。絶滅する。全ての存在もしくは諸々の原因となる何か(神とは呼ばない)に牙を向く手段があるとするならば、生への能動性など投げ捨てて、自分の実存を否定することだろう。存在を疑い、それを嫌い、否定する。自ら終わらせる。死んだあと原因に会えるなら、死ぬまで殴ってやりたい。殺してやる。 

 

だめだ。部屋から出ないとこうなる。

 

さっきご飯を食べに外に出た。夕焼けがきれいだ。空気が澄んでいて、パインツリーが面白い影を落としていた。バスケットコートで、黒人がワイワイやっている。大きな声。みんな楽しそうに笑っている。僕は少しいい気分になった。待ち合わせの場所には友人がいた。こっちを向いて笑う。僕も少し笑う。暖かいものを食べている。こっちを観ながら話しかけてくる。僕らは声を出して笑う。楽しいな。日が沈みそうだ。