DIARY

パラダイス銀河

#085

古いスピーカーから流れている全然知らない曲。ロングヘアはいきた証だとか、元素が旅をしているとか、そんなことを歌っている。動画サイトの履歴をスクロールした。3年も前まで遡ったけれど、同じ数曲が繰り返されているだけだった。他人に期待をしすぎている。何もない部屋で耐えられるのは、内側に美しいものを持っているからですよと占い師に言われた。雨宿りをしたその日は、多分僕の誕生日だった。重たいバッグにはプレゼントが入っていた。私が死んだ後も世界は回るだなんて、恥ずかしげもなくよく歌える。少し羨ましいと思ったのは秘密だ。何もかもくだらないと、生活がまた僕に語りかけている。あまりよくない兆候なのだけれど、僕はもうそういう世界をコントロールできないし、もう全然知らない。ただそう思う。

白紙を埋めることに何の価値があるのか。狂ったように文字を打ち付けてまっさらなところを汚しても、そんなものは虚しい。しかしそれを人間と呼ぶこともできる。許すこともできる。もっと先の僕は多分許すのだろうと思う。それをつまらないと思うのが今の僕だと言うだけの話だ。文脈の出発点にはただ気持ちだけがあって、そこで息をする僕たちにもまた、気持ちだけしかない。僕は本当は今日死ぬべきで、昨日死ぬべきだった。あなたも、あなたの家族も、しっぽを振る犬も、小ぎれいなアパートの外壁も、やぶれたビニール傘も、濡れてしまった両肩も、本当は今日なくなった方が良かったのだ。それはとても本当のことに近い気がする。そんなことはない気もする。こう言う矛盾は明らかな逃避だけれど、僕は楽しいからやっている。どうしようもない怠惰が、心の底には流れている。それは答えを許さない。知性に忠実だとかそんなことではなくて、矛盾の両方を受け入れてしまった方が楽だからだ。両方の矛を鋭くしていくことは、多分しんどいし、何が楽しいのかわからない。生活が愛おしく思えるのはいつも絶望の隙間だけ。因果関係は幸福の根拠で、沈んでいきたい束縛でもあった。

ほとんど全てがあって、ほとんど何もない商店街を歩いている。誰かの充実の痕跡が通りを満たしている。内側には美しいものなどない。地上では、タバコの煙でしか呼吸を確認できない。生きることは呼吸をすることではないと誰かが言ったが、そんなレトリックは置いておこう。ノンアルコールで酔えるなら苦労しない。人間はそんな風にできていない。いきなり川に飛び込んだり、銀行強盗をしたり、風俗店に通いつめたり、未精算でいっぱいのカートでレジを走り抜けたり、そう言う憧れをなんと呼ぼう。

 

蝶を見た。死んでいるものと生きているもの。あらゆる形に意味が宿っていた。無駄なものはない。システムから出てくる動きにも意味があるようだった。それ自体が、本当に宇宙の理由とつながっているように見えてしまった。存在は露骨だった。原因と、不確定なあらかじめ決まったあれこれの痕跡と、確かな受容。それは存在そのものようで、機能的なものだけが美しい気がした。何だかわからない。意味といえば全てが意味だ。

くだらない。でも本当だった。死を恐れている人はいない。そこに至る生が恐ろしいのだ。意味を感じることができないことだけをやっていきたいと考えようとしたら、全てがまたいつもの、親しい無意味に見えた。しかしそれら全てに終わりがあることに、意味のロジックが崩壊していない所以を思った。