DIARY

パラダイス銀河

#077

全体の把握への強迫観念めいた要求が、ずっと昔からあったように思う。例えば大きな都市に住むことになればその袋小路の一つ一つ、裏通り、抜け道、大通りを埋め尽くすビル、通りを歩く人の傾向、それから都市計画の過去50年ほどの資料なんてものまで自分の理解の中へ置こうと、大きなイメージをつくり上げるために調べ尽くす。知りたいというよりは知らないことに耐えられないからそうするのだろうと思う。こういった何かが把握の外にあることを避けるある種のネガティブな呼びかけが自分の中でどんどん強くなって、20歳を超える頃にはほとんど病的なまでになっていた。あらゆる新しいものは、これまでの解釈の系譜の延長にあるようなものは、つまり延長として捉えられる行儀のいいものならすんなりと入ってくるし予想の範疇なので不安になったりはしない。目に見えるものから見えないもの、古今東西あらゆるものの成り立ち、相関、構造、それらの歴史的な役割や現在の立ち位置に到るまで、世界のありとあらゆるものを理解の中に入れておかなければ、少なくともそのプロセスの途中にいなければ耐えられないと思う時があった。恐ろしく恣意的な秩序付けに、全体的な理解への憧憬を僕は写していた。それはほどなく限界を迎える。一人の人間を完全に理解することなど不可能で、一つの街の動きや歴史の細部に至るまでを解釈するのも不可能なのだ。それらは非常にダイナミックで、恐ろしいくらい緻密で複雑に絡まり合っており、理解の方向は、無限に広がってしまう。個体の数ほど解釈の数があると思い知った時幼い僕は本当に死にそうになった。僕固有の正しさは文字通り個人的なもので、僕の皮膚の外に出てればそれらは説得力をほとんど失い、他人のレンズを歪ませるほどの力は毛頭持ち合わせてないということを知った。

しかし個人的な秩序付けに取り憑かれたままの僕がいる。誰でもがそうなのだろうか。一人の作家を知るためにはその人物の残したあらゆる資料に当たろうとする。それをするには人生は短すぎるし、一つの対象に肩入れすれば他の全てがおろそかになる。何かの全体像を知ろうと思えばそれにまつわるあれこれを隅から隅まで調べ尽くす必要がある。しかしそれをすればそれ以外のものごとのあり方、またはその可能性というものを見逃す。一つの物事が孕んでいる潜在的なパターンがイメージの奥底に取り憑くと、次の対象に映る時にそれがあらかじめ投影される。しかしそういうのはだいたい後になってわかる。

今の僕はというと、しかし依然としてあらゆることへの解釈への要求はあるので、何かを知らない自分というものに常に安心感はなく、とても落ち着かないし、気持ちが悪い。しかし先ほどもいったように全て、文字通り全てを理解のうちへおくことなど、バカバカしいけれど、本当にできっこない。そんなことをして入れば、まず解釈のおおもとであるこの”自我めいた”自我からはっきりさせないといけないしもちろんそんなものは誰一人として解明していないしこれからできたとしてもそれが一方通行的な解釈ならばそれに僕が納得することはないだろう。だから今の僕は、あらゆることの表面を見て、その「感じ」を汲み取って後の全てはなんとなく予想してまあこんなものなのだろうなというところに甘んじている。没頭することに恐れているのは、それ以外を汲み落とすことへの恐怖感なのだ。不毛なものに時間を裂くことが美しい場合とそうで無いものが有り、それが観念的であれば美しく無いと思う。正しさのベールは未来の自分が剥がす。しかしこれでは人生は進んでいかないだろう。楽しくないだろう。具体的なアクションには英雄的な精神が必要なのだろうか。綿密な理解と全て物事同士の関わりとその最終的な印字が現在の僕の生にどういう力を加えているのか、つまり僕はどこに、どういう場所に立ち一体なにをしているのか。それが幼い自分が言葉にできなかったクエスチョンなのだけれど、問いかけそのものが自壊していることは想像に難くない。理解への欲はある。しかし人間的な理解は人間である僕にとって用意されたお誂え向けの手段であって、それらに全幅の信頼を置ける人間はよっぽど幸せなのかもしれない。あらゆる学問は恣意的だろうか。独善的だろうか。ぶくぶくと膨れ上がってとり返しのつかなくなってしまった醜い視点だろうか。言い切りたい僕と、言い切れない僕がいる。あらゆる保留された理解と結論は、その墓場へと行き着いている。正しさは虚像か。納得は人間的な納得か。知識は有効かどうかだけであるか。世界を作った人間という考えうる最も強力な第三者が何かを真実だと保証しても僕は納得しないだろう。その第三者を保証する高次の存在を僕は求めるだろうし、これでは無限後退だ。腑に落ちる解釈をよこす文面は単にこれまで親しんでいる思考回路に一致したというだけだろう。なんだかよくわからなくなった。疲れた。おやすみ