DIARY

パラダイス銀河

#000 岩波文庫

「岩波岩波岩波〜」そう叫びながら本屋で無限の広がりを見せるコミック・雑誌コーナーを走り抜けていった少女の残り香が僕のコートを翻した。軽い足取りが嘘のように、岩波文庫の棚を見上げた少女の顔は固まったように表情を失って、それから一冊を手に取ろうとしてはやめるという一連の動作を永遠に繰り返している。

SMOKINGROOMと書かれた扉を重たそうにあげる彼女の後ろ姿を見ながら、僕は深く椅子に座り直す。画面の上部が割れたスマートフォンからバニラの匂いがする。大きくなった彼女は岩波文庫を握りしめながら岩波文庫でできたテーブルに肘をついて、岩波文庫を断裁して巻いたタバコを吸っている。

「ボリスヴィアンの本が岩波にはないの。私それが許せないけれど。」彼女のタバコの先から僕の毛穴にまで入ってきた言葉の羅列が、そっくりそのまま脳みそまで染み渡って体のどこかに吸い込まれた。体の中の異物感を追いかけて、僕は僕の袋小路にまた捕まった。生まれたところはもう春らしい。両親から届いた手紙は、親しい友人の死を知らせるものだった。僕は彼の名前を聞いてもそれが誰だったか思い出せなかった。