DIARY

パラダイス銀河

#062

マフラーをぐるぐるに巻いた女子高生の影のシルエットがロシアの人形にしか見えなくなってきたところで電車が到着した。黄色い線の内側までおさがりくださいのアナウンスが妙に反響している。都会の駅には飛び込み防止のホームドアが設置されているので黄色い線はなかったりする。あのホームドアの存在が自殺しようとする人間の精神的な弁となって思いとどまらせたりするのだろうか。確かにあれをよじ登ってタイミングよく飛び込むというのは難しい。死に至るまでの過程が多いとそこに余白が生まれたりする。それでも死に向かわせるには気力がいる。僕の知っている僕だけが僕を終わらせることができる。

雨の日の駅のホーム。自販機には「あたたかい」が増えている。過去を更新し続けた結果現在の自分にたどり着いたのではなく、それぞれの風景がほとんど気まぐれで僕を今に連れてきているような気がした。ポケットに突っ込んだヘミングウェイを飛ばし飛ばし読む。筆圧の濃い昔の自分をさらりと無視して進む。同じ文章を読んでも今昔で解釈が変わるというのはどこでも言われている。僕は昔の解釈をとっくに忘れている。

いろんなことがきになる。それが頭のずーっと上の駅の屋根のもっと上のその少し上ぐらいにふわふわ漂っている。目線の先にある現実がもっと現実になって来る。

 

”ノスタルジックという恋人”についてヘミングウェイが話す章に差し掛かって「散らばったあれこれ。一人の人間。」という書き込みを見つけた。そのすぐ下に「午後2時半南千住駅」と知らない電話番号が書いてある。誰かとあう予定だったらしい。これを古本屋で買ったのはいつだったろうか。大事なことはあまり覚えていない。その時使っていたペンとはすぐに思い出せた。雨が強くなる。屋根に打ち付ける8ビートの雨音が、あちこちに散らばるディスプレイに照らされた顔に降り注いでいる。