DIARY

パラダイス銀河

人形町

人形町に行きました。6時半に待ち合わせで、目が覚めたら5時過ぎだった。起きることができたのも、着信が偶然5時にあったから、枕元に携帯があったからです。駅を降りて、信号を渡り、少し歩けば小さなカウンターのお店があり、そこが約束の場所でした。その人は先に注文していて、鶏肉とビールがありました。僕は座って、同じものを注文しました。少しすると隣にサラリーマンが二人座りました。京都から来たという二人は僕の容姿を褒め続けて、隣にいる僕の友達に、今晩セックス をするのかというような話を下手くそなオブラートで、ずっとしていました。僕たちはしばらくして店を出て、そのまま駅に向かいました。友達はお家に帰らず、僕の家の最寄りの駅で降りて、一緒にお酒を飲みました。バーテンダーのおばさんと、島根県の話をしました。海の話をしました。修学旅行で食べたご飯の話をしました。気が付くと夜は更けて、友達は電車を逃したので僕の家まで来ました。帰ったらすぐにベットに入って寝ました。友達は朝5時に起きて帰りました。仕事があるそうです。僕は何もないので、もう一度寝ました。起きたら夜、もう外は真っ暗でした。

駅の終わりから始まるスプロールに訪れるしじまのなかで、子供達の声がする。かくれんぼ。隣の部屋からはピアノの音が聞こえてくる。左手の練習。

この空っぽには内容がある。この空虚は満たされている。何も入っていない箱の中に何も入っていなければ、僕たちは何も考えない。空箱の中に、何かが入っている。毒リンゴを人は疑わない。よく笑う神父を人は疑う。

何もないから辛くなっていたのではない。何もないところで何かを感じる。

何もないところで何も感じなくなる。ここからだという気がしてくる。最初の一手が思い浮かばない。会心の一撃は、相変わらず空を切るのだろう。

「特別なことなどいらない」と原色をふんだんに使った何を宣伝しているのか定かではない広告がカクカクとしたフォントで訴えている。何が特別で何が特別でないかは、慣れ親しんだ時間に比例している。最初に触れた瞬間はあらゆるものが特別だったろうに。ぼーっと考えていると電車は通り過ぎている。えらく侵入速度が早いと思ったが、この駅を通過する車両だった。

 「こんなことなら生まれてこなければよかった。両親はなぜ僕を生んだんだ。」空っぽになったコーヒーカップの縁を人差し指でなぞりながら言った。「君のご両親だって『君』を産みたかったわけじゃないさ。」口に出すつもりではなかった言葉がついこぼれてしまった。必要なことは何もかもに正直になってしまうことだと、いつか見たアメリカ映画の主人公が言っていた。

 

同じように始まって同じように終わった一日が、眠りにつく一瞬前に今までとは違う重さを帯びて、走馬灯となり、僕は夢の中にいるのか目が覚めているのかわからなくなった。窓から差す光が床まで届いている。黒い髪、痩せた頰、白いテーブルを通る。

角を曲がって姿が見えなくなるまでのほんの少しの時間が、コマ送りの映像のようになって繰り返し再生されている。両脇を通り過ぎていく人の流れ。こちらを怪訝そうな顔で振り返る数人。駅のアナウンスが知っている誰かの声で頭の中で反芻する。床にへばりつくように重たいブーツを持ち上げながら帰った。坂の向こうには街の光が夜の雲に写っているのが見える。喧騒に飲み込まれて僕は画角のどこかに消える。遠くからそれは見えない。近付き過ぎてもそれはやはり見えない。

手首を切り血を流す人は生きている心地がするという。殴られて笑う人は、これで安心するという。痛みだけが肉体の輪郭を再確認させる。存在は痛みなしでは耐えられなくなってどこかへ行ってしまう。毎秒薄れていく実感が傷ついたからだと痛みで戻ってくる。愛する人を徒然と思う音楽は、明らかだったあれこれをまたわからなくさせる。少し元気になったりする午前の4時。ロックンロールに頭を振ってヘッドホンを外すと部屋にも街にも誰もいない。習慣が解けてまた何も始まらなくなってくる。これでも終わる。これで良いと、そう言ってのけることだってできる。

冷蔵庫を開けて見ると何も入っていなかった。「何も」というのは文字どうり何も、氷一つも調味料も何もなく、中の照明は空の冷えた箱を照らしているだけだった。午前3時に家を出るときはドアをゆっくり閉めたり、丁寧に歩いたりする。スクールゾーンと書かれた坂を登ると、コンビニが見えてくる。頭の上には電線が走っている。原始時代のことをなぜか考えて、宇宙のことも考えたり、小学生の自分と何も変わらないなと格好悪くなった。板チョコ二枚と缶ビールを買った。トマトを買おうと思ったのに、売り切れていた。夏は終わったのだ。

うっすらと気分を悪くして街を歩く午前には、不感症の目線がある。誰だって孤独だ。誰だって虚ろだ。もう見れないかつての風景。髪を切ったことは死んだあと知らない誰かの口から聞いた。ポジティブな歌詞と、人生を肯定する夏のお祭りと、昔に死んだ友達と、それらが放つ同じ匂いと。季節が視界を回す。すべて、理解を遠くに残したまま生活をひきずる。曲がり角を曲がれば新しく、同じ道を帰れば新しく、ビルを登れば新しく、奥歯で噛めば新しく。今は何かのピーク。もう一人の、もう百人の、どこか遠くにいる僕が今を真夏と呼び真冬と呼ぶ。ちょうど真ん中、どちらともつかない季節を、混じり気のない形容をするそんな世界のこと。言葉は虚しいか。世界は虚しいか。生活は虚しいか。虚しいは虚しいか。果てし無く広がっている閉鎖的な重さ。知らないことは妄想になるのか、あらゆる幸せは吸い込まれてなかったことになるのか。