DIARY

パラダイス銀河

同じように始まって同じように終わった一日が、眠りにつく一瞬前に今までとは違う重さを帯びて、走馬灯となり、僕は夢の中にいるのか目が覚めているのかわからなくなった。窓から差す光が床まで届いている。黒い髪、痩せた頰、白いテーブルを通る。

角を曲がって姿が見えなくなるまでのほんの少しの時間が、コマ送りの映像のようになって繰り返し再生されている。両脇を通り過ぎていく人の流れ。こちらを怪訝そうな顔で振り返る数人。駅のアナウンスが知っている誰かの声で頭の中で反芻する。床にへばりつくように重たいブーツを持ち上げながら帰った。坂の向こうには街の光が夜の雲に写っているのが見える。喧騒に飲み込まれて僕は画角のどこかに消える。遠くからそれは見えない。近付き過ぎてもそれはやはり見えない。

手首を切り血を流す人は生きている心地がするという。殴られて笑う人は、これで安心するという。痛みだけが肉体の輪郭を再確認させる。存在は痛みなしでは耐えられなくなってどこかへ行ってしまう。毎秒薄れていく実感が傷ついたからだと痛みで戻ってくる。愛する人を徒然と思う音楽は、明らかだったあれこれをまたわからなくさせる。少し元気になったりする午前の4時。ロックンロールに頭を振ってヘッドホンを外すと部屋にも街にも誰もいない。習慣が解けてまた何も始まらなくなってくる。これでも終わる。これで良いと、そう言ってのけることだってできる。

冷蔵庫を開けて見ると何も入っていなかった。「何も」というのは文字どうり何も、氷一つも調味料も何もなく、中の照明は空の冷えた箱を照らしているだけだった。午前3時に家を出るときはドアをゆっくり閉めたり、丁寧に歩いたりする。スクールゾーンと書かれた坂を登ると、コンビニが見えてくる。頭の上には電線が走っている。原始時代のことをなぜか考えて、宇宙のことも考えたり、小学生の自分と何も変わらないなと格好悪くなった。板チョコ二枚と缶ビールを買った。トマトを買おうと思ったのに、売り切れていた。夏は終わったのだ。

うっすらと気分を悪くして街を歩く午前には、不感症の目線がある。誰だって孤独だ。誰だって虚ろだ。もう見れないかつての風景。髪を切ったことは死んだあと知らない誰かの口から聞いた。ポジティブな歌詞と、人生を肯定する夏のお祭りと、昔に死んだ友達と、それらが放つ同じ匂いと。季節が視界を回す。すべて、理解を遠くに残したまま生活をひきずる。曲がり角を曲がれば新しく、同じ道を帰れば新しく、ビルを登れば新しく、奥歯で噛めば新しく。今は何かのピーク。もう一人の、もう百人の、どこか遠くにいる僕が今を真夏と呼び真冬と呼ぶ。ちょうど真ん中、どちらともつかない季節を、混じり気のない形容をするそんな世界のこと。言葉は虚しいか。世界は虚しいか。生活は虚しいか。虚しいは虚しいか。果てし無く広がっている閉鎖的な重さ。知らないことは妄想になるのか、あらゆる幸せは吸い込まれてなかったことになるのか。

映画が見れない。5分もしないうちに他のことを考え始めて、生活がチカチカしてくる

本が読めない。最初のページが意味不明になって、同じところを繰り返している。次のページに行けない。また、生活がチカチカしてくる。

snsができない。スクロールする。情報、文字。5秒くらいでよくわからなくなって、結局アプリを閉じる。生活がチカチカ。

人の話が入ってこない。肌の質感やら頭蓋骨、脳みそが気になってよくわからなくなる。生活はチカチカしない。

絵が描けない。写真が撮れない。本が書けない。音楽が作れない。デザインができない。書くことない取るものない書くものない作るものないすることない。できない。何もできない。本当に、体が動いてくれない。ただ歩いている。誰も知らない街。広い街。高級ブティックにふらりと入ったり、映画館の前で立ち止まったり、古本をペラペラ。何にも入り込んで行けない。いつだって鏡を見ているようで、僕しか映っていない。作れない。美術館に行けない。よくわからない。

友達が個展をやっているのでいった。ドアを開けてそのまま帰った。ガチャガチャしていた、意味が多すぎてまた気分が悪くなりそうだったので。帰りにコカコーラの350。ジャズを聴いて、3分ぐらいでコーヒーに一口つけただけで帰った。歩いた。どこに行けば気分が良くなるのだろうか、誰と会えば優しくなるのだろうか。センチメンタルにもなれない。みぞおちあたりがまた重くなってきた。

いつだって片付いている部屋に帰ると、精液の匂いが残っていた。僕はとんでもないことをしているのではないかという気持ちになった。何かとんでもないものをもてあそんでいる。コースターの上に100円玉が4枚並んでいて、これだ。僕の人生はこれだ、このために僕は生きているのだと、これが時間の正体だとなんとなく感じた。情報の中にだけ今はあるモチベーションの正体。全然減らない青く透明な香水。夏は赤色だと体は言っている。しかし頭は青だと言っている。言葉を知らない時でも、夏だけは夏だったと誰かが言っていたりしないだろうか。多分しない。孤独死のタクシードライバーの体液が、下の階まで染み込む。夏はそんな季節だ。

昔の恋人が、私たちは平成に生まれたのだから平成に死ぬべきなのと呟いた。メロンソーダが600円もするのはソフトクリームが乗っているせいなのか、平成のせいなのか。僕にはわからない。君はバカになっていない、わからなくなっていくことは進歩だと誰か偉い人に夢の中で言われたい。全てを肯定している歌詞が、全てを肯定するメロディーに乗って最後の夏を急かしている。今日が最後でも、最後の季節でも僕たちは何も変わらない。同じ1日を送る。それでよい、万歳。

知人と安いご飯を食べていると、なぜこんなにも退屈なのかという話になった。色々理由は出てきた。死が遠くてとても近いなどと思春期みたいな所に責任転嫁が走り始めた頃合いに「見た目がアレだからじゃない」という話になった。よく考えると地味である。長く黒い髪、黒い服、黒いメガネ、黒いピアス、180cm60kg。あまりにもいさぎよすぎるということで、ここを崩してふわふわとしてみようという今年下半期の目標が唐突に決まった。ということで今週、パーマを当てて、ブリーチを3回ほどしてグレーになった。クリアフレームの眼鏡を買った。次はタトゥーを入れるという話なのでお金を稼がないと。職場はまあどうにかなるだろう。5センチくらいの厚底のブーツをもらった。ピアスも派手なシルバーのやつをつけた。街を歩くと視線が痛い。これは気のせいとかなんとかのレベルではなく、はっきりとジロジロ見られている。確かに少しずつ退屈でなくなってきた。朝になると大きな虫になっているほどの変化はないけれど、関わらなかった種類の人たちに話しかけられたし、少しだけ予想していた職場をクビになるという事態も無事起こり、すっかり無職で清々しい気分だ。不思議。退屈じゃない。山と積んであった本も全て捨てて、トイレに置いてあったパンセだけが手元に残る。都内で見かけたら話しかけください。時間は腐る程あるし、時間が腐るとどんな匂いがするのか気になっています。