DIARY

パラダイス銀河

映画を一つ見終わった。ベランダに出ると正午は真白く、空はいつも通り青い。柵にもたれると熱くて耐えられなかった。室外機に吸ってタバコを吸った。ただぼんやりと、青い空と、とても暑い空気とに包まれながらタバコを吸ったシーンが、僕のこれまでの人生の中にはいくつもあった。カリフォルニアはもう少しカラッとしている。アパートを出ると、手入れの行き届いていない駐車場で、地べたに座り込んだ。空はずっと高く、そこでも、とても暑い空気が体を覆っていた。コカコーラとかをよく飲んでいた。神戸の夏、坂道を降って汗が気持ち悪くなって喫茶店に逃げ込んだ。薄暗くて涼しくて、ジャズがかかっていた。タバコは吸えない。

部屋に入ると、部屋の角が自分の体の中へと入り込んでいくような感覚が突然やって来た。囚人は柵の中でも有限に自由で、その自由は無限だと考えたり。立方体の部屋が、四肢の末端の器官となって孤独を教えてくれる。青い空と暑い空気を浴びていると、どこか高いところにでも登って街を一望したいと思った。グーグルで「東京 自然」と調べているうちにどうでもよくなってしまった。街の隅でぼんやり空気に触れることを考えたりした。強制的なものは何もない。陽の光ではっきりとした僕の肌は、久しぶりに見たような気がした。体がここにあって、僕がそれを見ていて、ここに僕がいる。

#088

坂道を挟んだ向かい側に大きな煉瓦造りの家がある。夕方になるとピアノの音が聞こえてくる。同じフレーズを繰り返しては、戻ったり、進んだりする音楽に、僕は耳をいつも澄まして聴いている。ソファに寝転んでタバコを吸っていると、音楽が、過ぎ去った風景を連れてきてくれる。煙を追いかけているうちに消えてしまういつかの自分が見てきた情景は、夜が始まる頃にはまた過去になる。愛の夢が、とても美しい旋律で、それは言葉にならないくらい綺麗だった。僕はまだいきている。涙が出てきたがなぜだかわからない。悲しみのイメージの発端は、校庭で見た夕陽でもあり、昨日すれ違った人の笑顔でもあった。

#087

最後の日は雨だろうか、晴れだろうか。曇りかもしれない。朝か、昼か、夜か。一人なのか、誰かがいるのか。ここなのか、あそこなのか。

最後の景色は記憶のどこかに既にある気がしている。覚えているはずのない産婦人科の病室の天井の模様や、母親と、窓から差す光。森山大道は原風景と幻風景という。

現在は物語の一部なのだろうか。これは章をまたぐ余白。あるいは、あとがきまでの余白。

#086

死んだ人間に人は優しい。死は当人以外の全員にとって重要だ。ある人を失った時点でそれが起点になり、まつわる記憶はすべて曖昧な色合いで点滅し始める。

重たいドアを開けた時は確か雨だった。いつの間にか雨は止み、コンビニに傘を忘れたことを忘れた僕は、きっと雨が降ったことも忘れるのだろう。アメリカの映画では黒いショートヘアの人が5ドルのミルクシェイクを飲んでいた。その顔は鋳造したての硬貨みたいに綺麗だった。曖昧なメタファーが生活の主戦力だったことはそれらが消え去ったあと残り香で知る。チグハグな巻きタバコ。終わってトイレを出ると、恋人とカラフルな食事が待っていた。近代美術館に並ぶあれこれを横目に、ポテトサラダの話をした。雨の日にはラーメンがいいらしい。雨の日こそラーメンがいいらしい。芸術作品は、作ろうとしたその描き始めの一点でもう満足して飽きてしまう。僕はもう美術をやめたことを話した。一両目に乗ってきた4人の若者の左耳には、同じ黒いピアスがついている。車椅子に座った女と目があった。よだれを垂らしながら僕の目を見ていた。確かに見ていたと思う。僕は隣で眠る綺麗な形をした、よだれを垂らしていない女を見たけれど、目は閉じられていた。喫茶店で働く数人を眺めることが、社会を考えるキッカケになっている。具体的な機能と知識だけがそこにはあり、清々しい朝の空気のようなものを感じたりする。悲劇のように演じる喜劇。喜劇のように演じられた悲劇。「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなり、心筋梗塞・脳卒中の危険性や肺気腫を悪化させる危険性を高めます」読み上げた。怒ったように見えるその顔、潔くカットされた黒く短い髪は雨に濡れていた。バス停に並ぶ人たちを彼女は見つめていて、煙を吸い込んだ。あらゆる世界のメタファーは、各々の現実に回収されていく。「どこに住んでるんですか。おいくつですか。好きな食べ物とか。」

 

他人の死は新しいメカニズムでした。僕は久しぶりに夢を見た。共有した時間のすべてはその日から、突然美しくなった。毎秒の呼吸に突き刺すように、死んだ人間の吐息が肺深くに入り込む。ずるい僕の脳みそは、あらゆる思い出を喜劇にしてしまう。

#085

古いスピーカーから流れている全然知らない曲。ロングヘアはいきた証だとか、元素が旅をしているとか、そんなことを歌っている。動画サイトの履歴をスクロールした。3年も前まで遡ったけれど、同じ数曲が繰り返されているだけだった。他人に期待をしすぎている。何もない部屋で耐えられるのは、内側に美しいものを持っているからですよと占い師に言われた。雨宿りをしたその日は、多分僕の誕生日だった。重たいバッグにはプレゼントが入っていた。私が死んだ後も世界は回るだなんて、恥ずかしげもなくよく歌える。少し羨ましいと思ったのは秘密だ。何もかもくだらないと、生活がまた僕に語りかけている。あまりよくない兆候なのだけれど、僕はもうそういう世界をコントロールできないし、もう全然知らない。ただそう思う。

白紙を埋めることに何の価値があるのか。狂ったように文字を打ち付けてまっさらなところを汚しても、そんなものは虚しい。しかしそれを人間と呼ぶこともできる。許すこともできる。もっと先の僕は多分許すのだろうと思う。それをつまらないと思うのが今の僕だと言うだけの話だ。文脈の出発点にはただ気持ちだけがあって、そこで息をする僕たちにもまた、気持ちだけしかない。僕は本当は今日死ぬべきで、昨日死ぬべきだった。あなたも、あなたの家族も、しっぽを振る犬も、小ぎれいなアパートの外壁も、やぶれたビニール傘も、濡れてしまった両肩も、本当は今日なくなった方が良かったのだ。それはとても本当のことに近い気がする。そんなことはない気もする。こう言う矛盾は明らかな逃避だけれど、僕は楽しいからやっている。どうしようもない怠惰が、心の底には流れている。それは答えを許さない。知性に忠実だとかそんなことではなくて、矛盾の両方を受け入れてしまった方が楽だからだ。両方の矛を鋭くしていくことは、多分しんどいし、何が楽しいのかわからない。生活が愛おしく思えるのはいつも絶望の隙間だけ。因果関係は幸福の根拠で、沈んでいきたい束縛でもあった。

ほとんど全てがあって、ほとんど何もない商店街を歩いている。誰かの充実の痕跡が通りを満たしている。内側には美しいものなどない。地上では、タバコの煙でしか呼吸を確認できない。生きることは呼吸をすることではないと誰かが言ったが、そんなレトリックは置いておこう。ノンアルコールで酔えるなら苦労しない。人間はそんな風にできていない。いきなり川に飛び込んだり、銀行強盗をしたり、風俗店に通いつめたり、未精算でいっぱいのカートでレジを走り抜けたり、そう言う憧れをなんと呼ぼう。

 

蝶を見た。死んでいるものと生きているもの。あらゆる形に意味が宿っていた。無駄なものはない。システムから出てくる動きにも意味があるようだった。それ自体が、本当に宇宙の理由とつながっているように見えてしまった。存在は露骨だった。原因と、不確定なあらかじめ決まったあれこれの痕跡と、確かな受容。それは存在そのものようで、機能的なものだけが美しい気がした。何だかわからない。意味といえば全てが意味だ。

くだらない。でも本当だった。死を恐れている人はいない。そこに至る生が恐ろしいのだ。意味を感じることができないことだけをやっていきたいと考えようとしたら、全てがまたいつもの、親しい無意味に見えた。しかしそれら全てに終わりがあることに、意味のロジックが崩壊していない所以を思った。

#084

 

窓の外から少しずつ沈んでいく一日が見える。明るい町に繰り出そうと思って、明るい町に繰り出したら何が起こるだろうかをベッドの上で考えて、夢の中で、陽に照らされた明るい通りを歩いて、今日はもう終わるところまで来ている。理想の日々は今日を通り過ぎる。具体的にならない充実した生活はどこか未来に落ちているか。あらゆる物事の変化の形容を時間と呼んだのは一体誰だったか。