DIARY

パラダイス銀河

#086

死んだ人間に人は優しい。死は当人以外の全員にとって重要だ。ある人を失った時点でそれが起点になり、まつわる記憶はすべて曖昧な色合いで点滅し始める。

重たいドアを開けた時は確か雨だった。いつの間にか雨は止み、コンビニに傘を忘れたことを忘れた僕は、きっと雨が降ったことも忘れるのだろう。アメリカの映画では黒いショートヘアの人が5ドルのミルクシェイクを飲んでいた。その顔は鋳造したての硬貨みたいに綺麗だった。曖昧なメタファーが生活の主戦力だったことはそれらが消え去ったあと残り香で知る。チグハグな巻きタバコ。終わってトイレを出ると、恋人とカラフルな食事が待っていた。近代美術館に並ぶあれこれを横目に、ポテトサラダの話をした。雨の日にはラーメンがいいらしい。雨の日こそラーメンがいいらしい。芸術作品は、作ろうとしたその描き始めの一点でもう満足して飽きてしまう。僕はもう美術をやめたことを話した。一両目に乗ってきた4人の若者の左耳には、同じ黒いピアスがついている。車椅子に座った女と目があった。よだれを垂らしながら僕の目を見ていた。確かに見ていたと思う。僕は隣で眠る綺麗な形をした、よだれを垂らしていない女を見たけれど、目は閉じられていた。喫茶店で働く数人を眺めることが、社会を考えるキッカケになっている。具体的な機能と知識だけがそこにはあり、清々しい朝の空気のようなものを感じたりする。悲劇のように演じる喜劇。喜劇のように演じられた悲劇。「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなり、心筋梗塞・脳卒中の危険性や肺気腫を悪化させる危険性を高めます」読み上げた。怒ったように見えるその顔、潔くカットされた黒く短い髪は雨に濡れていた。バス停に並ぶ人たちを彼女は見つめていて、煙を吸い込んだ。あらゆる世界のメタファーは、各々の現実に回収されていく。「どこに住んでるんですか。おいくつですか。好きな食べ物とか。」

 

他人の死は新しいメカニズムでした。僕は久しぶりに夢を見た。共有した時間のすべてはその日から、突然美しくなった。毎秒の呼吸に突き刺すように、死んだ人間の吐息が肺深くに入り込む。ずるい僕の脳みそは、あらゆる思い出を喜劇にしてしまう。

#085

古いスピーカーから流れている全然知らない曲。ロングヘアはいきた証だとか、元素が旅をしているとか、そんなことを歌っている。動画サイトの履歴をスクロールした。3年も前まで遡ったけれど、同じ数曲が繰り返されているだけだった。他人に期待をしすぎている。何もない部屋で耐えられるのは、内側に美しいものを持っているからですよと占い師に言われた。雨宿りをしたその日は、多分僕の誕生日だった。重たいバッグにはプレゼントが入っていた。私が死んだ後も世界は回るだなんて、恥ずかしげもなくよく歌える。少し羨ましいと思ったのは秘密だ。何もかもくだらないと、生活がまた僕に語りかけている。あまりよくない兆候なのだけれど、僕はもうそういう世界をコントロールできないし、もう全然知らない。ただそう思う。

白紙を埋めることに何の価値があるのか。狂ったように文字を打ち付けてまっさらなところを汚しても、そんなものは虚しい。しかしそれを人間と呼ぶこともできる。許すこともできる。もっと先の僕は多分許すのだろうと思う。それをつまらないと思うのが今の僕だと言うだけの話だ。文脈の出発点にはただ気持ちだけがあって、そこで息をする僕たちにもまた、気持ちだけしかない。僕は本当は今日死ぬべきで、昨日死ぬべきだった。あなたも、あなたの家族も、しっぽを振る犬も、小ぎれいなアパートの外壁も、やぶれたビニール傘も、濡れてしまった両肩も、本当は今日なくなった方が良かったのだ。それはとても本当のことに近い気がする。そんなことはない気もする。こう言う矛盾は明らかな逃避だけれど、僕は楽しいからやっている。どうしようもない怠惰が、心の底には流れている。それは答えを許さない。知性に忠実だとかそんなことではなくて、矛盾の両方を受け入れてしまった方が楽だからだ。両方の矛を鋭くしていくことは、多分しんどいし、何が楽しいのかわからない。生活が愛おしく思えるのはいつも絶望の隙間だけ。因果関係は幸福の根拠で、沈んでいきたい束縛でもあった。

ほとんど全てがあって、ほとんど何もない商店街を歩いている。誰かの充実の痕跡が通りを満たしている。内側には美しいものなどない。地上では、タバコの煙でしか呼吸を確認できない。生きることは呼吸をすることではないと誰かが言ったが、そんなレトリックは置いておこう。ノンアルコールで酔えるなら苦労しない。人間はそんな風にできていない。いきなり川に飛び込んだり、銀行強盗をしたり、風俗店に通いつめたり、未精算でいっぱいのカートでレジを走り抜けたり、そう言う憧れをなんと呼ぼう。

 

蝶を見た。死んでいるものと生きているもの。あらゆる形に意味が宿っていた。無駄なものはない。システムから出てくる動きにも意味があるようだった。それ自体が、本当に宇宙の理由とつながっているように見えてしまった。存在は露骨だった。原因と、不確定なあらかじめ決まったあれこれの痕跡と、確かな受容。それは存在そのものようで、機能的なものだけが美しい気がした。何だかわからない。意味といえば全てが意味だ。

くだらない。でも本当だった。死を恐れている人はいない。そこに至る生が恐ろしいのだ。意味を感じることができないことだけをやっていきたいと考えようとしたら、全てがまたいつもの、親しい無意味に見えた。しかしそれら全てに終わりがあることに、意味のロジックが崩壊していない所以を思った。

#084

 

窓の外から少しずつ沈んでいく一日が見える。明るい町に繰り出そうと思って、明るい町に繰り出したら何が起こるだろうかをベッドの上で考えて、夢の中で、陽に照らされた明るい通りを歩いて、今日はもう終わるところまで来ている。理想の日々は今日を通り過ぎる。具体的にならない充実した生活はどこか未来に落ちているか。あらゆる物事の変化の形容を時間と呼んだのは一体誰だったか。

 

 

#083

晴れている。洗濯をした。ベランダから、スクールゾーンと書かれた坂が見える。朝は小学生、夜は大学生の笑い声が聞こてくる坂。タバコを吸って真上を見ても太陽が眩しくないのは昼を過ぎているからだ。午前中だとこの位置から見上げれば眩しい。坂を登る人。お徳用サイズのトイレットペーパーが彼女の足取りを重くしている。マラソンをする夢を見た。誰も見ていないところでショートカットをした。

今日はいい日だと思う。街が鮮やかになっている。僕は何もしていないのに、景色が勝手に綺麗になっている。そういうのが好きだ。僕は何もしていないのに勝手に何かが始まろうとしているような。このままずっと昼でいいと昼には思うし、このまま朝が来なければいいと夜になると思う。何もかもがこのままでいい。このままであってほしい。

難しい顔。牛乳を選ぶ。タバコを選ぶ。ベッドに入る。難しい顔をして部屋を片付ける。ゴミの日を逃してしまった。

#082

燃焼剤が吸わないままのタバコを短くしていくように、残された時間は手につけられることなく終わっていく。何もかもが正当な理由を持ってそこにあるように見える。ギターケース、観葉植物、コーヒー豆、空瓶。生活の意図は、ペーパーナイフにあらかじめ意味が与えられているように潔く理解することはできない。時間が横たわっているなどと言ってみる。正しい消費の仕方を学びたいと思って生きて、それが取るに足らないものになり、それでもあらゆる、意味の与えられたアレコレと共存している。しかし共犯にはなれない。手に馴染むスマートフォンも、アイロンのかかったシャツも、少し硬くなったソファーも、結局皮膚の内側に届かないあれこれのままだ。雨が上がって少し湿った道路を歩く。水たまりに映る電柱。聞こえてくる笑い声。僕の幸福は、充実や眩しい生の意味の中にはない。荒涼とした場所、何も育たないところでのみ呼吸することを良しとしたロジック。自壊して、それでも他を認めない5歳児のようなロジック。人間を人間と呼ぶのは人間だけで、僕を僕と呼ぶのも僕だけ。だからなんだ。同じことを別の言葉で繰り返すこともできなくなり、よく知る退屈だけが残る。どこかへ行ってしまった陶酔を他人の表情の中に見出す。

#081

死ぬまでのわからない時間を埋めるに値する作業とか生活とか、そんなものもう見つからない気がしている。死ぬのもなんか勿体無い。痛いのとかはすごく嫌だ。酒の席で初めてあった人たち。僕だけが生きていない。よく笑ったりする。話をずっと聞いているけれど、何もわからなくなって、何も話すこともない僕は電話をするふりをして店をでる。間違った方法で人生にがっかりしてるという気配もどうでもよくなって、空っぽなまま毎日が忙しい。朝起きて顔も洗わないといけないし、歯も磨かないと、飯も食わないといけない。生活は難しい。死に向かって、同時に退屈を満たしている生活のあれこれが欺瞞に映らなくなる日は多分こない。僕はそんな自分を認めたりしないだろう。絶望はもう楽しくない。ただわからない。文字は頭に入ってこない。部屋に物は増えない。

#080

久しぶりに古本でも買いに行こうと思い街まで。天井高くまで積み重なっていた。シオランの思想の黄昏があった。タイトルだけ知っていた。シオランはずっと読んでいた。ある時点から、その主張がただくどいとしか思えなくなり読むのをやめた。しかし僕が彼の提起する、ある意味では”本当の”問題を乗り越えたということではなく、グロテスクな問いかけに僕は楽しさを見出せなくなっただけなのだ。あらゆる問題。解決したいところは同じ。哲学がすっかり面白く無くなったのは、解決したのではなく単純に飽きたのだと感じてなんだかバカバカしくなった。哲学には忘却があらかじめ用意されている。他のあれこれは忘却を探している。そんなふう。