DIARY

パラダイス銀河

#000 こんにちは

いつもてきとうにぶちまけているこのブログだけれど、アクセスログが0ではないからある程度モチベーションを保つことができる。と言うわけでいつも来て頂いているみなさんありがとうございます。いやほんとに。

僕も結構みんなの記事読んでます。寂しさを紛らわせたりできてます。あって話したい人もたくさんいますがもうあってるかもしれないし、これから偶然すれ違うかもしれない。とにかくいろいろある人生ですが、どこかで会った時には楽しい話でもしたいです。

それでは良い一日を

#051

二重スリット実験から量子テレポーテーションの話。薄気味悪い遠隔操作とかなんとか。まあよくわからない。この社会を実際に作っているのはこう言う人たちなので任せる。アカデミックにいる連中に任せて、テレポートの装置が日焼けマシンぐらいの大きさになって一回三百円とかになってから僕はそれについて考えてみるよと言った。

僕は旅をして、大恋愛をいくつか経験して、余った時間で科学雑誌で未来の可能性にちょっとだけ興奮するのがいいな。タイムスリップも宇宙の始まりもブラックホールも楽しいけれど、美味しい夕食とか好きな人と笑っている方が楽しい。まあどっちもできる。わからないことは怖いし数字もそんなに好きじゃないので僕はやっぱりいい。知りたいけどしんどそうだからやめておこう。写真を撮って、飛行機に乗って、ちょっとだけさびしいけれどこれでいい。何もわからないままほっておこう。ちょっとだけモヤモヤするけど仕方ない、僕はだらしない。宇宙に意味があっても、神様がいても、どこか遠い星に瞬間移動できても、どこにでも生活がある。死ぬまで生きないと。とにかく現実がとことん現実なので、野菜が値上がりしたことの方が今の僕には重要だ。

#050

最近髪を染めたらしいけれど、前の真っ黒な髪がすごく似合っていたのでなんだか残念だった。しかし僕は今度黒に戻した時に明るい色のこの人を惜しんだりするのだ。どこかで必ず終わることは明らかで、それでも今この瞬間同じ時間を過ごすというのはどいうことなのか。その人の記憶の中で僕は、僕の記憶の中でその人は生き続ける。僕たちは誰かの走馬灯の一ページを飾ることができるかもしれない。鮮やかに焼き付いた一瞬だけが過去から切り取られて、今の僕の生活によって文脈は色付いていく。多分これでいい。さよならだけが人生なのだ。友人でもなく恋人でもない関係をどう呼ぶか「友達以上恋人未満」なんていうけれど、長いしなんだか小っ恥ずかしい。これだと1<x<100かもしれない。2と99を一緒にしてしまうのに無理があるのは明らかだけど、一つ一つに名称をつけていくのはもっと無理がある。男女の関係性にいちいち名をつけたりするのは無粋だと思う、でもそれに頼っている。

少し明るい色の服を着て、縁石の上をゆらゆらしながら歩く。この場所に冬は来ない。秋はこのまま僕らを連れて冬を飛び越え春を追い越して夏の境界線まで、なんてこともないのだけれど、季節を感じるのはやっぱり楽しい。生活がうまくいっている時だけ。お金があっていい家があれば世界は綺麗に見える、確率が上がる。

古い音楽を聴いては”This is real music I was born in the wrong generation”と同居人が相変わらず愚痴をこぼす。古いものは無条件でありがたいものらしい。とんでもない。先端にツタンカーメンがついたエジプト土産のステッキを振り回している。危ないよと何度も言ったのに、数分後もれなくコーヒーを倒して部屋中を小洒落た匂いにしてくれた。

どこかおかしい。みんなどこかおかしい。狂っていることを知っている。言わないだけなのだ。みんなで渡れば怖くない。そういうものではない。 

 

 

#000 何も知らない 

何か勘違いしている。

個人経営の喫茶店。古いジャズが流れている。古い友人と新しい友人。数人で話をした。話をするといつも周りの反応に違和感がある。細部まで専門的に、科学や学際的な知識をもってその上で結局は何もわからない的なことを言っているのだと思っている人がいるらしい。僕は何も知らない。本当に何も知らない。知識の不可能性とか科学も宗教の一種だとかそういうことを言いたいのではなく、本当に何も知らない。

哲学も数学も物理学も知らない。歴史なんてもっと知らない。古典もほとんど読んだことはない。岩波文庫の前で立ち止まったりしない。詳しいことは何も知らない。

僕は何も知らない細部まで学ぶのも面倒くさい時間をかける価値を感じない、怠惰を許す言い訳として、動物的な策略で、それらと逆行する主張に全体重をかけているだけなのだ。科学も解釈に過ぎない数学は何も記述できないなどというのは、ただそれらを知らないことのコンプレックスに対する慰めで、それをこれから学ぶバイタリティのなさを正当化しているだけで、僕は本当に何も知らない。矛盾していること主張するだけの材料を僕は持ち合わせていない。なぜならどちらもよく知らない。学問なんて知らない。

どんな体系も知らない、どんな理論も知らない。何も知らないという場所から動くのが億劫で仕方がないので、結局は何も知ることができないと自分に言い聞かせているだけなのだ。僕は抽象に逃げている。森羅万象を貫く理論があると信じて真っ向から立ち向かう人はかっこいい。それでも僕はやっぱり面倒臭いと思う。多分この世界がどうなってるとかそんなことより、もっと単純な欲に心を囚われているような、もっとだらしない感じなんだと思う。僕は何も知らないし何もできない。行き場を失った欲だけがある。ん、そんなものもないな。そんなもの特にはない。

 

 

 

 

 

#049

それはいわば降伏の証なのだ。僕は白旗を振りながら景色を見ている。

虫の息程度に僕の中で理解への欲は流れている。確かにまだある。しかしもうそれに固執したりすることはない。僕はそれを数ある一つのファンクションとして、ただ受け入れている。生殖を諦めてもなお絶頂を繰り返す装置を見ている。そういう気持ち。

諦めるんだね、と友人たちはいう。しかし諦めではなくこれが個人的な怠惰なのだということを僕は知っている。あらゆる出来事の真相は二度と僕を奮い立たせたりしない。生活の原動力を見失って、習慣が体を飼い慣らしている。解釈はいらない。何事もこうなって、ああなる。とにかくそうなる。

この映画は多分もう少し終わらない。あらゆる感情の種類にラベルをつけてガラスの棚にしまいこむ自分がいる。今日もまた一つ、明日も、明後日も。生活はいろんな味がする。手触りのいい木箱、彼女が真っ白な歯を見せて笑う。アラームが遠くで鳴っている。何もわからない、そう言って全てを放り投げることを良しとするために、自分を説得するためにこうやってだらだらと書いていることくらいわかっている。

じっと見ている。やっぱり何もやってこない。静かに木の葉が揺れている。木漏れ日を避けるように野良猫が歩いている。ここには何もない。初めから。何も。

 

#048

何もかもをめちゃくちゃにしてしまいたいと言う衝動に襲われる。襲われている。人間関係も、社会的ななんとやら、知らない。腫れ物を触るように大事に人生を扱ってきたと思う。慎重に、間違った道を選ばないように後悔しないようにじっくり選んで決めていたら、手に入るはずだと思っていたあれこれはとっくに姿を消している。

人の心に土足でズカズカと入り込む。傷付けることを恐れない。それなのにとてつもなく優しい。奔放な人間が近くにいると自分の調律が徐々に、しかし確実に狂っていく。しかし人間関係を思い通りにするというか、気付けばするっと心の中に入り込んで来るような人はいる。見ていると面白い、そして少し勉強になる。

距離の取り方が絶妙なのだ。それからレディーファーストが徹底されている。なんだったら男に対してもそういう気遣いをしているところをよく見る。挨拶をよくしている。ありがとうという回数が多い。基本的には笑っている。それからよく褒めている。ビルの清掃員のおばさんや、受付のお姉さんにも変わらないスタンス。なんだろうなあこれは。

ゆっくり話すし、ゆったり動く。口数は多くない。彼の祖父曰く、自分を一国の王のように演じるのがミソらしい。他人を卑下したりしない。こちらの目をじっと見てくる。否定しないし、説教っぽいことも言わない。なるほどなーと思う

#047

プラトニックなんてクソ食らえと朝の四時に叫びながらベッドに飛び込んだ。安いスプリングが軋む音が同情の悲鳴に聞こえる。僕はちゃんと話を聞いていた。日付が変わるちょうどその頃にノックもせずズカズカと入ってきた。

恋こそは他のいかなる世俗のものにもまして最も善いものだって言うでしょ。僕は愛されたいのであって愛の経験が欲しいわけではない。酔っているのはわかるのだけれどなかなか雄弁に語っている。プラトンから引用したり、はたまたバタイユのエロティシズムを引っ張ってきては恋愛哲学をいよいよ日が昇る時間まで講じている。古いアパートの一室で、21世紀のパイドロスが僕を説き伏せようとしている。僕はおかしくなってなんども吹き出しそうになったけれど、水を飲んだり咳き込んだりしてごまかした。

ようするにはフラれたらしい。竹内まりやの歌の中で「彼だけが男じゃないことに気付いて〜」みたいな詩があったようななかったような、彼女だけが女じゃないことに気付いてとなんども言おうとしたけれどやめた。存在なんてまやかしだ生きることは浪費だと常日頃言っている彼が失恋に頭を抱えている。誰かに恋をしている時間はこの世の意味だとか存在の不条理だとかはすっかり消えていくのだろうか。荒涼として灰色だった生活の景色の隅々まで、日常のあらゆるシーンを恋人は鮮やかに塗り替えてしまったらしい。笑いながら彼の日常に原色のペンキを塗りたくる名前も知らない女の人が頭に浮かぶ。

ここが天国だったらどうするの。ここは天国になりうる。ずいぶん前に僕に言った人がいる。何かを信じることが知性に対して誠実になることと逆行していると考えているならあなたはまだ何かを知っているつもりになっているのだと思う。まっすぐこっちの目を見てそう言った彼女はどうしてるのだろうか。未だ生活に意味は感じられない。何もわからず、確かな何かに触れている錯覚を起こす装置とともに僕は生まれた。どんどん精密になった気になって、現実を平らに、生活を平凡にする。一番大きな納得を教えてくれるものが本当のことに一番近いわけではない、僕は好きなように何かを信じることができるのだろうか。解釈に正しさのエキスは含まれていない。しかし目の前に広がる景色はどこまでも不可解なのだ。やはり全てを忘れて、理解を諦め、ありのままをうつす。バカになっているのではない。僕は、変わろうとしている。意味を一度全て崩して、何もないことに絶望して、意味を再び取り戻したり作ったりするのは不誠実でどこまでも愚かだと思っていた。今でも思っている。そんな人間的に論理的なレンズも、この病んだ世界も、一度大恋愛を処方されると全く違う様子になるらしい。どうしたって僕はキリンより小さいし、高層ビルより小さいし、宇宙より小さい。しかし何にでもなれる。それらを好きなように理解することができる、理解したと言ってのけて新しい生活を始めることができる。そう言う意味じゃないけど、

恋は盲目。恋は盲目。