DIARY

パラダイス銀河

いつだって片付いている部屋に帰ると、精液の匂いが残っていた。僕はとんでもないことをしているのではないかという気持ちになった。何かとんでもないものをもてあそんでいる。コースターの上に100円玉が4枚並んでいて、これだ。僕の人生はこれだ、このために僕は生きているのだと、これが時間の正体だとなんとなく感じた。情報の中にだけ今はあるモチベーションの正体。全然減らない青く透明な香水。夏は赤色だと体は言っている。しかし頭は青だと言っている。言葉を知らない時でも、夏だけは夏だったと誰かが言っていたりしないだろうか。多分しない。孤独死のタクシードライバーの体液が、下の階まで染み込む。夏はそんな季節だ。

昔の恋人が、私たちは平成に生まれたのだから平成に死ぬべきなのと呟いた。メロンソーダが600円もするのはソフトクリームが乗っているせいなのか、平成のせいなのか。僕にはわからない。君はバカになっていない、わからなくなっていくことは進歩だと誰か偉い人に夢の中で言われたい。全てを肯定している歌詞が、全てを肯定するメロディーに乗って最後の夏を急かしている。今日が最後でも、最後の季節でも僕たちは何も変わらない。同じ1日を送る。それでよい、万歳。

知人と安いご飯を食べていると、なぜこんなにも退屈なのかという話になった。色々理由は出てきた。死が遠くてとても近いなどと思春期みたいな所に責任転嫁が走り始めた頃合いに「見た目がアレだからじゃない」という話になった。よく考えると地味である。長く黒い髪、黒い服、黒いメガネ、黒いピアス、180cm60kg。あまりにもいさぎよすぎるということで、ここを崩してふわふわとしてみようという今年下半期の目標が唐突に決まった。ということで今週、パーマを当てて、ブリーチを3回ほどしてグレーになった。クリアフレームの眼鏡を買った。次はタトゥーを入れるという話なのでお金を稼がないと。職場はまあどうにかなるだろう。5センチくらいの厚底のブーツをもらった。ピアスも派手なシルバーのやつをつけた。街を歩くと視線が痛い。これは気のせいとかなんとかのレベルではなく、はっきりとジロジロ見られている。確かに少しずつ退屈でなくなってきた。朝になると大きな虫になっているほどの変化はないけれど、関わらなかった種類の人たちに話しかけられたし、少しだけ予想していた職場をクビになるという事態も無事起こり、すっかり無職で清々しい気分だ。不思議。退屈じゃない。山と積んであった本も全て捨てて、トイレに置いてあったパンセだけが手元に残る。都内で見かけたら話しかけください。時間は腐る程あるし、時間が腐るとどんな匂いがするのか気になっています。

夜でも朝でもない時間に名前が付いていない理由を、僕は随分と昔に考えたことがあるような気がする。誰も起きていないからなのでは、とふと思った。すっかり大人になって、夜が生活になり朝は夢の中でぷかぷかと浮かんでいる。夏が始まったと誰かが言っていたので、公園でビールを開けた。ボートを漕ぐカップルと遠くから目があったような気がしたのは、気がしただけだ。平成最後の夏が文字通り最後の夏になり何もかも、本当に何もかもが最後になったとすれば、何もかもを良しとする。

雨音がだんだんと強くなる。遠くにあるiPhoneが点滅している。

映画を一つ見終わった。ベランダに出ると正午は真白く、空はいつも通り青い。柵にもたれると熱くて耐えられなかった。室外機に吸ってタバコを吸った。ただぼんやりと、青い空と、とても暑い空気とに包まれながらタバコを吸ったシーンが、僕のこれまでの人生の中にはいくつもあった。カリフォルニアはもう少しカラッとしている。アパートを出ると、手入れの行き届いていない駐車場で、地べたに座り込んだ。空はずっと高く、そこでも、とても暑い空気が体を覆っていた。コカコーラとかをよく飲んでいた。神戸の夏、坂道を降って汗が気持ち悪くなって喫茶店に逃げ込んだ。薄暗くて涼しくて、ジャズがかかっていた。タバコは吸えない。

部屋に入ると、部屋の角が自分の体の中へと入り込んでいくような感覚が突然やって来た。囚人は柵の中でも有限に自由で、その自由は無限だと考えたり。立方体の部屋が、四肢の末端の器官となって孤独を教えてくれる。青い空と暑い空気を浴びていると、どこか高いところにでも登って街を一望したいと思った。グーグルで「東京 自然」と調べているうちにどうでもよくなってしまった。街の隅でぼんやり空気に触れることを考えたりした。強制的なものは何もない。陽の光ではっきりとした僕の肌は、久しぶりに見たような気がした。体がここにあって、僕がそれを見ていて、ここに僕がいる。

営業終了後の遊園地。

雨音が誰かの足音に聞こえて振り返りながら帰る。

梅雨時期。タバコ。

板チョコ。白い光。雲を通る太陽。不快感。

停滞。午後。重さ。退屈

#088

坂道を挟んだ向かい側に大きな煉瓦造りの家がある。夕方になるとピアノの音が聞こえてくる。同じフレーズを繰り返しては、戻ったり、進んだりする音楽に、僕は耳をいつも澄まして聴いている。ソファに寝転んでタバコを吸っていると、音楽が、過ぎ去った風景を連れてきてくれる。煙を追いかけているうちに消えてしまういつかの自分が見てきた情景は、夜が始まる頃にはまた過去になる。愛の夢が、とても美しい旋律で、それは言葉にならないくらい綺麗だった。僕はまだいきている。涙が出てきたがなぜだかわからない。悲しみのイメージの発端は、校庭で見た夕陽でもあり、昨日すれ違った人の笑顔でもあった。

#087

最後の日は雨だろうか、晴れだろうか。曇りかもしれない。朝か、昼か、夜か。一人なのか、誰かがいるのか。ここなのか、あそこなのか。

最後の景色は記憶のどこかに既にある気がしている。覚えているはずのない産婦人科の病室の天井の模様や、母親と、窓から差す光。森山大道は原風景と幻風景という。

現在は物語の一部なのだろうか。これは章をまたぐ余白。あるいは、あとがきまでの余白。