DIARY

パラダイス銀河

#000 Jazz

 

ジャズ。

牛や豚や鳥が焼かれて煮られて揚げられたりしている。通りは米と野菜でごった返している。変わった匂いがする。喉がキュッと締まるような匂いがする。汗をかいた大男が何人も横を通り過ぎていく。暑い。ほとんどが男。視線がものすごい速さで流れては消える。狭い路地にでこぼこと乱立したネオンサインは天まで届く。JR三宮駅を降りる。高架下を西へ。飲食店が密集している。動物の死骸をこねくり回して異臭を放っている通りで、男の汗やらなんやらの匂いで鼻が曲がりそうになるその通りの角から空気を裂くように、トランペットが聞こえてくる。うなるようなソロが通りを駆け抜けている。人間が汗だくになりながら大きく口を開けて、そのびっしり詰まった歯で狂ったように動物の死骸を噛み砕いているその奥から、ジャズが聞こえてくる。汚れたスーツの男が一人で踊っている。みんなが泣いたり叫んだり、壊れるくらい大げさに笑ったりしている。緑のドア。250円。

 

 

 

 

 

#042

ミニチュアダックスに異常に懐かれたり、急に胸毛が生えてきたりした。

起きてすぐ胸元をのぞいて見たらさっぱり生えていなかった。部屋には僕しかいない。妙に片付いている感じ。

「君は目からわらった方がいいね、うん。顔上半分引きつってるんだよ。」お腹が空く。ラーメン屋に行こうと思ったのにカップ麺を開けてしまった。喫茶店に行こうと思ったのにインスタントコーヒーを淹れてしまった。今日が人生の岐路だったかもしれない。外に出ていれば思わぬラッキーが、はたまた交通事故で死んじゃうとか。別のおはなし。

日本にいる叔父からレコードが届く。好みを分かっているというか、僕が叔父に影響されているのだろう。「手紙ありがとう。こちらからは時季ものを送っておきます。体に気をつけてください。」ちょっと高価そうなノートの切れ端に書かれていた。ゆっくり聴いている。曲を聴いているというより、旋律がきっかけとなって僕を記憶の中に沈めて行くという感じがする。キザ過ぎたろうか。キザってもう誰も使いませんか、使いませんね。

短調のナンバーを聞くたび、この人はこの時いい気分だったんだろうなと思って、少し嬉しくなる。

 

ワッフルを作るのが恥ずかしい。食堂でご飯を食べるとき、席から少し離れたところにあるセルフのワッフルメイカーで作っていると、なんか恥ずかしくなった。大の大人が可愛いものを、とかそういうことじゃなく、この人は今明らかにワッフルを欲しているというのが明確すぎること。「ああ自分は欲をさらけ出してしまった、にもかかわらずそれはワッフルを食べたいという並すぎるもしくはそれ以下のスケールだった。」という感じ。

 

食器をゆっくり置くこと、思っているよりずっとゆっくり話すこと。思っているよりずっとゆっくり動くこと。姿勢よく歩いたり、座ったりすること。腰が大事でしょう。目があえば笑うこと。名前で呼ぶこと、話を聞くこと。は今日のメモ。おしまい

 

#041(2)

人生のどこかに死のピンが必ず打たれることを考える。死ぬこと自体が不可解なのではなく、死までのこのギャップの正体こそが僕を捉えていたものだと言えるかもしれない。死は言葉と言ってしまえばそうなのだが、脳みそが止まるまでの期間はそこにあって、脳みそもやはり止まる。

 

写真について。

写真家に必要なのは、どう撮るかというよりも、何を選ぶかというセンスが必要な気がする。狙った一枚より、大量の中の偶然のネガが美しいと思ったりもする。だから、それがおそらく起こりうるかもしれないという場所を知っていることと、その条件の中でおこる偶然の中から至極を撰び取るセンスこそが大事だと思う。テクニックではなく、直感?絶妙な一枚を撮る技術ではなく、それを見つけ出す技術。現代性に適した審美眼が必要なのだろうか。

#041

I ain't give a fuck anywayと呟いて僕の顔を思いっきり殴った6.4フィートに街で偶然合った。大学一年の冬僕がそいつの彼女と寝たことがバレてアパートまで殴り込みに来た。ドアを開けた瞬間この男が何をしに来たのか一瞬でわかった。弁解などする余地はなくそいつは僕の頰を思いっきり殴る。僕は横腹を蹴り上げて食べさしのカップヌードルを投げつけてそれから思いっきりそいつの鼻をロジックプロの参考書で殴った。叫びながら黒い体が向かってくる。それから僕はもう一発右の頬に食らった。

地球儀がプリントされているコーヒーカップを片手に僕に笑いかけてくる。仕事の調子はどうだとか、僕がまだ履いているスニーカーの話とかをしてくる。そういうことなんだと思った。僕はおとぎ話を思い出しているのだ。

 

今日は写真をとった。かっこいいのを取らないといけないよと編集に言われたのでかっこいいのをいくつかとった。鮮やかな色のスカートと綺麗な顔がほとんどモノクロの街を背景に踊っている。レンズではなく僕の目をみて笑いかけてくるので、レンズを見て欲しいとなんども言った。わかったと言ってにこにこしながら僕の目を見ている。タバコを吸いながら歩いても嫌な顔をされない汚い街に不釣り合いなガラス細工の形をした人間が、足音もなく日雇い労働者とホームレスの間をふわふわ飛ぶように駆け抜けていく。F値を下げていくたび脇役たちの表情は見えなくなって、薄い唇と淡い瞳だけがはっきりとした景色になっていく。カメラを捨てて街をあるく。何もかも忘れている。ガラクタでごった返しになった街で少し前までよく耳にした曲のイントロが聞こえてくる。

 

シャツにプリントされたグラフィック。僕のやつを知らない人が着ている。広告塔には昔ファインダーからみたそのままの景色が張り付いる。僕が切ったり貼ったりしたフィルムが映画館で流れている。僕が録音した音楽がインターネットでゆらゆらしている。ほとんど名前も覚えていないような昔の知り合いに、お前が羨ましいと言われた。かわいそうなやつだなと以前羨ましいと言われた時に言ったらお前は最低だと言われたので今回はお前もよくやってるよ言っておいた。僕は遠くまできたのだ。僕は変わってしまったのだ。記憶の中遠いところにいるあらゆる人が僕を羨ましいという。僕はまだ何も話していない。不思議なものは何一つない。何も吐き出さないものだけを自分のものにしたい。何もかもがあるこの街で、一番美しいものに触れながら煙と音がゆらゆらするほとんど空っぽの部屋で、不可解さに絶望したふりをしてベリーグッドな人生を送る。グッドバイとみんなに手を振ってまた新しいところ。全部が混ざって理解だけがあと残るような瞬間だけに生きる妄想を繰り返す。

 

#040

JPOPのオルゴールアレンジが永遠と流れている中華料理屋で、読み方もわからないような丼ぶりを指差して頼んだ。テーブルに敷かれた透明のビニールがウィンドブレイカーの袖にひっついたりする。奥の席に座る客の頭上で回る扇風機の風がギリギリ届いてこないのがわかる距離に座っている。JPOP独特のコード進行を外国で耳にするたび、僕の中の文化の琴線に何かが触れていることを感じる。日本の景色が少し恋しくなったりもする。ロストジェネレーションの残り香がかすかに残るカルチエ・ラタンの一角も、今は異邦人で溢れている。

深入りして細部まで見てしまうとそれにがっかりするかもしれないから表面だけと戯れるという生活を続ける。少し掘ってそのままにしておく。僕は全部を知りたくない。次へ行く。時間がもったいない。一つに時間をかけられない。もったいない。雰囲気を求めてやっている。現実に落とし込みたい雰囲気をまとう作品があったとしたら僕はそれに取り憑かれるだろうか。

 

だらしのない現実の鉄の板が地球を覆っていて、その上に景色がある。夕暮れ時やいくつかの夜にはそれら景色が現実から剥がれたりする。

 

50ドルでビデオカメラを買った。

 

 

地球の内部構造が描かれたノートをただじっと見つめている。マントル。

どこかの大学が5人の被験体にDMTを投与した結果、個別に隔離された5人中4人が同じ夢を見たと言い出したらしい。

死んでも何かが始まるのだろうか。始まらない。

 

昔のルームメイトに再会した。ジャンキーなメキシカンを食べながらアパートに向かって、それからワインを飲んだ。とんでもなく安い。

彼がマリファナのカートリッジを持って来る。僕は日本語で話し始めた。英語を話す人間の正体を掴みにくいのは、その言語から説得力やら人間性を汲み取る能力が僕にはないからだ。他言語は話者と繋がってはおらず、ただ文章として耳に届く。しかしふわふわしていると、表情から言語は引き剥がれて言って、ついには生々しくそこに一人の人間が座っているという感覚に落ちて、やはり何かが在るという痛烈な実感だけがのこった。

 一本の木を見ている。その前に止まるシルバーの乗用車が小さく見える。影を落としている。そこにある。とにかく車がそこにある。脳を処理した映像を”みて”いるので僕は景色を見てなどいない。全ては初めから、タチの悪いジョークかもしれない。

 ゆっくり話していた。何やら、地球も小さな生命体であって広大な宇宙の一構成物に過ぎない、みたいなことを言っている。宇宙に散らばる星が閉める宇宙空間の領域がいかに小さいか、ほとんど空っぽだということを熱弁している。それからアメリカの話をしている。

 マントルがあって、構造があった。世界というと地球のことをイメージしてしまう。世界の絵を描いてくださいと言われれば、地球を描こうとする人は多い。

 

部屋を出るとかすかに明るい。タバコを吸ったけどまずい。なんだか今日は色々とまずい。家に帰って横になっても外は明るい。1時間後に感じるはずの憂鬱を今感じている僕は損をしているのかと考えても何もわからない。階段を降りる。一段一段の落差が大きい。

 

 

#039

人間の数だけ差異があるし何もかも全くわからないという気持ちで朝を迎えました。いい気分ではない。死ぬまで納得できるはずはないのに、そのふわっとした把握だけを求めて生きている。シーシュポス。山の麓に来るたび、この過程には意味があると信じ込まされる。

 

漠然としたイメージをなんとなく正解にしておいて人生を進めようとしているけどうまくいかない。先端に目を向けたのちに全体を見渡すと、その大きさに途方に暮れてしまう。複雑極まりない末端が無数に見える。可能性を諦め続けなければ何も進まないのだろうけれどなかなか難しい。大きな把握を目指すけれど、それは叶わない。違う人間に会って話すたびに破壊される。新しいパターンを取り込むのだけれど、それらはどの理解にもつながらず、諦めをよこしてはくれない。

 職でも同じで、一つ一つやって見てすべて諦めたいのに、最初の2つ3つでもうダメになってしまう。あらゆるものに奥行きがあって、方向もある。キリがない。何もかもを辞めてしまわないと、これは逃げ切れるゲームではない。知らない無数のパターンが強迫観念となって生活の実感を奪っていく。

 

一番だと思うところに住んで、一番だと思う仕事をして、1番だと思うパートナーを見つけることだよと友人に言われた。大は小を兼ねる的パワープレイで、2位を含むピラミッドの上から下までを強制的に排除というか理解というか、それらは必要ではないし、今のものよりも優れているわけがないという言い聞かせが必要になってくる。

 

あらゆるものを捨てなければならない。あらゆる可能性と選択肢を顧みず全ての選択の誘惑を断ち切ってしまうような会心の一手を、現在に下し続けるかもしくはこれでいいと思える阿呆になるなどしないと僕みたいな人間は一生、ありもしない可能性と、捨ててきた選択と手に入れられたかもしれないあれこれに呪われて死ぬ羽目になる。

 

プラハ。三白眼が印象的な人だった。仕事終わりパブで一緒に潰れるまで飲んでそのまま彼女のアパートに行った。何もない。ベッドと、服。電気ポット。頭の中では何故かビートルズのNorwgian Woodの出だしの歌詞がリピートされていた。黙ったままこちらを見つめるので僕も同じようにした。すると青い目の中に本当に吸い込まれそうになって、こんなに綺麗な形の生き物が存在するのかと不思議な感じになった。僕の人生は具体的なのだけれど、僕の中の何かがそれを抽象しているのでふわふわとしたイメージだけが僕にとって一番リアルになっている。

そのまま陸路でフランスまで移動して、地中海近くのスタジオでの仕事に向かった。カミュの小説とあとがきで誰かが、地中海の美しさと空の青さを目にしながら、彼の体には不条理が貫いていた、みたいなことを言っていたけど、なるほど地中海は確かに綺麗だった。美しく見えるからこそわけがわからなくなる。なぜあるのか、何故生きているのか、何故なにもわからないのか。絶望は景色の隅々まで染み渡る。

 

僕は繰り返しているように毎日を送る。同じことが、全く違う色をしている。目の前の満足や快楽が、これからをどうでもよくしてくれる。朦朧とした時だけ、陶酔の間だけ感じられる本当の理解が翌朝に綺麗さっぱり無くなっていることを知るとき僕は、夢の中で息をしていなかったことに気付く。

 

 

 

 

#038

ところで今日は、"You're an earthly comfort" こういう表現に出会った。雰囲気。

暑さが少しずつましになってきて、空の青さが彩度を取り戻している。この一週間で世界がコントラストを無理やり上げた感じにえらく雑な作りだなと言いたくもなるけれど、涼しさに免じてよしとしている。

僕自身に変化はない。誰かが行ったように、結局昨日の僕をやめることのできる僕は今日にはいないということなのだ。なんとなくやっているけれど、実際の生活にはスピード感が戻ってきている。あちこちで仕事をしている。僕はどこで生まれてどこで育ったのか、帰るべきところなどもう失われている気がする。失われている。

ゆっくり動いた方がいい。ゆっくり話した方がいい。言葉一つ一つの切れ目も読めるくらいゆっくりでも構わない。酔っている時は自然にできる。それから物音はなるべく立てない。抑揚をつける。目を見て話す。目があって笑ったりすることは意外と大事なのだ。自分の話はしなくてもいい。名前で呼ぶことも大事かもしれない。話さないよりは、話し掛けた方がいい。ランダムを生活に放り投げないと、それこそ死ぬまで退屈で仕方がない。

日記を書いたりする時期はこれまでにもあったしこのブログもそうなのだけれど、結局どれも見返したことはない。文章にしてまとめ上げた時点でそのことは整理されて、もう一度僕に戻ってくることはない。僕にとって何かを書いて残すことは憑き物を落とすことで、僕は歪んだレンズを何度も言葉にして捨てている。僕は自分がどれだけ醜かったか振り返るつもりもなければ、過去に純粋さを見出そうともしない。それらはその時点時点で僕に取り憑いていた足枷で、それらを脱ぎすてる堆積が現在の僕のレンズにまで辿り着いている。正しさまでの距離は並行で1ミリも近付いていないのは当たり前なのだけれど、あらゆる地点での自分にとっての納得のパーセンテージを限りなく100に近付けることだけが僕にはできる。この段落は特に脳の足りないバカみたいなことを書いているけれど、見返さないからよしとしておこう。それでは